月別アーカイブ: 2015年2月

2月27日

幼稚園へニレを送ってから(本日はさよなら遠足)産業医へ。

産業医のあとは、三宅接骨院で施術していただく。随分身体の調子がよくなったので、次回から2週毎の通院になった。ありがたい。

まよったが、書き物がちょっとだけ「岩登り中の踊り場で休憩状態」なので、打ちっ放しへ行く。

左中心に、右でも打った。家でのこまめな素振りが効いたのか、だいぶ球がつかまるようになっている。太刀を振るイメージをもういちど強くもつように心がけている。

最近は左中心で行こうと思っていたのだが、久しぶりに打ってみるとやはり右もいいと感じる。

左は、フォローまで気持ちよく振れるのがよいが、手先までの細かい感覚がはっきり伝わってこない。

右は、昔からやっているので、細かいニュアンスまで感知しやすい。しかし、フォローで左の股関節に痛みがはしる。

少し練習場で打つくらいならよいが、ラウンドでボールを打ち続けることを考えると、右の股関節の痛みはあまり好ましくないことのように思える。

まあ、あんまり他の人が悩むようなことではないと思うので、この「右左どっちにしようかしら問題」は、楽しみつつ引っ張っていきたいものである。

6月に、学会でオーストリアへ行くことにした。ヨーロッパの医学史にも触れたいと思っている。

2月26日

朝から仕事

幼稚園へニレを送ってから大学へ。

雑務処理を一通りおえてから、ここまで描いたものを一通りチェックする。

午後からは入試業務。

ニレを幼稚園へ迎えに行った後、家で夕食の準備をしていたら「今日、最後のお弁当ありがとう」と言われる。

今朝作った弁当が最後だったらしい。

温められる金属製の丸い弁当箱に、

卵焼き、ソーセージとほうれん草のバター炒め、ひじき(昨晩イーダが作ったものの残り)、ごはん

をつめた。

卵焼きは、味を付け忘れてしまった。マッサンを観ながら作ったので、忘れていたのだ。ごめんな。

君が望むなら、中学でも弁当作るぞ。でも、中学にいったら父親の弁当なんか食べないかもしれないな。

多くは望めないが、君が中学生になっても私が弁当を作ってあげられるような平和な家庭と世の中であることを祈るばかりだ。

2月25日

朝から仕事。

幼稚園へ送ってから、ケータイをiphone6に変えた。100円ショップでスマホ用保護フィルムを購入してから産業医へ。

夜は凱風館で稽古。

 

2月23日

ニレを幼稚園に送ってから大学へ行き、2015年度関連の学務を一つ。

その後、やはり来年度の授業で特別授業補助者をお願いしているあーりんの教務部長面談に同席する。

昼からは、能の稽古。この日は「山姥デー」。今年ではなく、来年5月末の舞台のための練習がすでに始まっている。

大学に帰り、国試対策の授業を1コマ。その後、松蔭稽古。

幼稚園にニレを迎えに行ってから、3人で夕食。早朝からの書き仕事にそなえて、この日も早く寝た。10時に寝て、4時30分から5時くらいに起きる生活が続いている。

この一月苦しみ続けたテーマに、ようやく形ができてきた。何でもあきらめずに頑張るものだなあと思う。まあ、闇雲にやるわけではなくて、あきらめなくてもよいように頑張るというのが大切だと思うのだが。

私も、かつてはずっと頑張り方がへたくそで、根性無しの自分を責めてばかりいた。しかし、自分を責めても面白くも何ともないし、第一全然成果があがらない。成果を上げるためには、成果があがるような目標設定をしなければならないのである。

2月22日

午前中は、朝から仕事。

昼前に、ニレが小学校へ上がってから使う勉強机を買いに行く。しばらくはリビングルームで勉強することになるので、部屋の模様替えも必要になった。

ソファーをシンプルなものに買い換えることになった。予想外の出費に血圧があがりそうになる。

昼からイーダが学会にでかけてしまったので、その後はニレと二人で過ごす。

 

 

2月21日

朝はいつも通り仕事。

午前中は産業医。土曜の朝は阪神高速が空いているので、スムーズに仕事場までいくことができた。

午後は、合気道の稽古。その後も少し色々あって、帰宅。

骨を追ってくださる方がいて、なんとか生きていける我々がいる。

2月20日

六甲幼稚園生活発表会2日目。年長児は、最後の劇遊びの舞台である。

子供達が先生と一緒に練習を重ねてきた成果を、存分に楽しませてもらった。

まつ組の劇は、『美女と野獣』。ストーリーにしても舞台のセットにしても、先生が大変な労力を掛けて子供達のために用意をしてくださったことがよくわかった。感謝である。

子供達も一生懸命頑張って、自分の役を演じていた。

年長児全員の最後の歌を聴いて、思わず大泣きしてしまう。人前であんなに大泣きしたのは、私の医師としての最初の師である厨信一郎先生の追悼会以来である。情けない。号泣男子はみっともないので、これで最後にしたい。

思えば私は、あの日に人前で大泣きしてから、次の道へと進んでいこうと決意したのだった。生活発表会とは関係ない話になってしまったが、六歳になった子供たちが大きな声で「こころのねっこ」を歌っているのを聴いて、色々思い出してしまったような気もする。

子供達の健やかな成長を願う。

2月19日

幼稚園へニレを送ってから、一旦大学へ行き仕事。

昼前に幼稚園にもどって、年中組の生活発表会を少し観る。ニレが、発表会の終わりの挨拶に指名されたので、その様子を見に行った。

昼休みはランチ勉強会。昨年の4月から数えて二〇回を超えた。国試までいよいよ追い込みである。

教授会の後、専攻会議。その後急いで打ち合わせへ。その後、久しぶりに外で食事をした。