子供を幼稚園に送ってから、大学で雑務。
その後、御影で能の稽古。
再び大学にもどって、身体論に関する電話会議。
夕方まで大学で作業をすすめ、ニレを迎えに行ってから帰宅する。
2学期が始まったばかりでまだペースがつかめないのか、ニレは帰りの車中で寝てしまった。
家に帰ると、ちょうど妻も名古屋から帰ってきたので二人で食事をする。
ピザを焼いた。
スーパーで売っているピザ生地に、トマトソース、瓶詰めのサーディン、モッツァレラチーズ2種をのせてオーブントースターで焼くだけ。簡単でそれなりにおいしい。
ピザをかじりながら、「著述の隙」の話などをする。
わりと最近多い、「すらすら書かれている本」を読んでいると、整合性のない表現に出会うことがある。結構頻繁に出会う。著述の隙とは、そのような表現のことである。
気にならない人は気にならないのだろうけれど、私も妻もそういうことがとても気になる質で、そういうものに出会うと、どうしても本の中に入り込むことができない。
本には大切なことが書かれているのだろうし、それを読み込めないというのは結局こちらが損をしていることになるのかもしれない。
それもまた、お勉強と思って、読むことも必要なのかもしれない。つっこみ入れながら楽しく読んだらいいのだろうか。
一般に、学術的な分野で仕事をしてきた人の著述には隙が少ないようにも思うが、残念ながらそういう人の文章は、「隙も無いが落ちも無い」みたいなことがよくある。
あるいは「隙も意義も無く、あるのは砂をかまされるような情報のみ」ということもある。
私は贅沢になりすぎたのかもしれない。