午前中は大阪で産業医。
午後は、学生の実習先(病院)訪問のため宝塚へ。
病院へ行くと、そこが自分の働く場所では無くなったということを思い知らされる。
自分で決めたことなので仕方が無いのだが、何となく仲間はずれになったような気持ちになりちょっとだけ寂しい。
でも、私には今の仕事(大学教員と産業医)の方が合っているように思う。まぶしい眼差しで病院というものを眺めることができるようになったということが、どこか嬉しくもある。というか、やっぱり寂しいよりも嬉しい気持ちのほうが強い。
どうしてこんなに人と同じことができないのだろうか。いい歳をして情けない。けれど、仕方が無い。
田舎育ちということもあり、わたしは「空いてる電車」が好きなのである。というか、満員電車には乗り続けることができない(田舎の人間がみな私と同じようだとも思えないのだが)。
2001年に私は認定内科医の試験というものを大阪国際会議場で受験したのだが、内科医の数のあまりの多さに発狂しそうになった。なぜだかわからないが、すごく嫌だった。そして、それから12年後に臨床の第一線から退いてしまった。
私は私のお医者さんのみち(「グレーゾーンの医者」と呼んでいる)をてくてく進んでいくしかないだろう。これが中々楽しい道なのである。ひとりぼっちで歩いていると、道ばたにタンポポが咲いていたり、ハーモニカを吹いている闘牛士が居たりする。
あんまり人が増えるとまた違う場所を探さなければいけないので困るのだけれど、実は結構おすすめのキャリアである。
歳をとって何らかの心配がでてくることもあるかもしれないが、オーディナリーな内科医だって同じことである。むしろ、齢を重ねる自分と愉快に向き合っていくために私は職を変えた。
自分のフィールドで、メモリの細かな仕事を積み重ねて行きたいものである。
おお、どうしたのだろう。くどくどとつぶやいてしまった。
西宮で雨の日用の靴を購入してから六甲までニレを迎えに行く。
家に帰って、公文の勉強を少し見てやってから夕食作り。
あ、仕事に主夫業を書くのをわすれていた。なんか忙しいなあ。
移動が多い日だった。