ミハイ・チクセントミハイの「幸福」を対象とした心理学の原点は、ヨーロッパ人の精神が第二次世界大戦によって深く傷つけられたというところにあります。
「私はヨーロッパで育ち第二次世界大戦のとき7歳から10歳でした。私の知っていた大人でこの戦争による悲劇を耐えることのできた人はわずかでした」
チクセントミハイのTEDトークは、この言葉から始まります。
戦争を終えたとき、ようやく取り戻した平穏の中で幸せに暮らしている人がいる。一方では、大切なものを失った深い悲しみをきっかけに、更なる人生の困難(自らの心の傷によってもたらされる絶望)に飲み込まれてしまう人もいる。
若き日のチクセントミハイは、大戦後を過ごす大人たちの様々な姿をみて、「いったい、何が人生を生きるに値するものとするのか?」という疑問を持ちました。
10代の若者にしては随分大人びた視点ですよね。
もしかするとこれは、チクセントミハイが外交官の子供として育ったことと関係しているのかもしれません。彼は、1934年に、ハンガリー外交官の子供としてイタリアで生まれています。異邦人として、コミュニティの外側から大人たちを観察する習慣を小さい頃から身につけていたのかもしれません。
スイスにおいてカール・ユングの講演を聴くという偶然の出会いを経て、チクセントミハイは22歳でアメリカに渡り心理学者になりました。そして、「幸せの根本とは何か」を研究し始め、フロー理論を提唱するに至りました。
さて、今回からは、この「フロー体験」「フロー理論」をチクセントミハイの著書『フロー体験 喜びの現象学』に沿う形で説明します。
これまでにも何度か言っていますが、フロー体験というのは、「自分を忘れてしまうほど行動に没入した状態」のことを指します。
チクセントミハイは長年にわたる自身の研究をもとに、一般向けへのフロー理論の解説書としてこの本を出版しました(原題 “Flow: The Psychology of Happiness”)。
1990年にこの本を出版したとき、彼は一つの危惧を序文に記しています。*1-1
本書は-喜び、創造、生活への深い没入過程など-私がフローと呼ぶ人間の体験の能動的側面についての20年ほどの研究成果を一般向きに要約したものである。これには多少の危険がともなう。このような問題についての議論というものは、学術論文の形式から解放された途端に軽薄(careless)なものか大げさ(overly enthusiastic)なものになりがちだからである。
改めて読むと、私自身が初めてこの本を手にしたときに、強い警戒心を持ちながら本を開いたことを思い出します。私もまた、軽薄で大げさな自己啓発的ツールとしてのフロー理論をこの本から押し付けられるかもしれないと思っていたのです。
しかし、チクセントミハイは著書の冒頭で、その私が抱いている警戒心について、はっきりと言及していました。そしてこの序文を読んで私は、私の心配が彼の心配でもあることを理解しました。
それが分かってからは、ずいぶん安心して読み進めることができたのですけれど、私の警戒心は完全には払拭されてはいませんでした。
「相手の最も危惧するところに一定の言及を加え、相手を安心させてから話を進める」というのは、人を騙すときの基本的なテクニックの一つだからです。
もちろん私は、チクセントミハイ教授が、人を騙そうとしてこの本を書いたとは最初から思っていませんでした。しかし、読み手を納得させるために、無意識のうちのこのようなテクニックが使用されるということは十分あり得ます。
しかし、少し読み進めると、私の心配はそれほど必要がないものだということがわかってきました。それはどういうことかというと、チクセントミハイはちゃんと、自分が危惧する形で本が社会に受け止められることを防ぐ装置を自著の中に仕組んでいたからです。
彼が自著に仕込んだ工夫に気づくことで私は、「チクセントミハイは本当に、フロー理論が誤用されたり、不用意な形で広まることを恐れている」と言うことが分かりました。
彼の危惧は、フロー理論が、「認識の科学」としての学術性から解放されたときに、「成功への方程式」的なものとして扱われることにありました。
それを防ぐために彼は、「身体のフロー」「思考のフロー」「フローとしての仕事」などの各論的な内容を紹介する前に、フロー理論の成り立ちについて説明する総論的な四つの章を配置しているのです。
中でも最初の三つ、第1章「幸福の再来」、第2章「意識の分析」、第3章「楽しさと生活の質」は難解に書かれており、「人生に成功をもたらす即効性のあるツール」を求める気持ちだけでは、ここを読み進められないようになっています。チクセントミハイは、フロー理論を理解しようとする読者に対して、一定レベル以上の心理学への学術的関心を要求しているように思います。
また、この最初の3章にフロー理論の最も重要な基礎的概念が書かれていますので(フローとはどういうものか、そして、それを得ることはなぜ難しいのか)、ここを理解しなければ、十分な形で5章「身体のフロー」以降の内容を読めないようになっています。
チクセントミハイはこのように「関所」を設けて、自著が”careless”あるいは”over enthusiastic”に扱われることを防いでいます。なかなかのやり手ですよね。
一方、心理学の専門研究者以外の立場でこの本を受け取ることを想像してみると(私もその一人な訳ですが)、「幸福についての心理学」について考えるときに、これを「社会への応用」という面から考えたくなるというのは、ごく自然な流れのようにも思います。
「ポジティブシンキング」が、ある種常識のようにとらえられている現代では、幸福感を抱くことや積極的な考え方をすることが、最終的に人生における成功をもたらすという考えに共感する人は多いのではないでしょうか。
幸福は幸福を呼ぶ。幸福は連鎖する。幸福の好循環を作り出すことが、成功への王道である。
チクセントミハイは、このような考えを強くは批判しません。しかし、彼が幸福についての科学を長年研究してきた目的は、「成功への王道」を明らかにすることではないようです。
実は、「高校生におけるフロー経験は、学業成績の向上と正の相関がある」というような研究成果が報告されていて、フロー体験を多く持つことが社会において成功することの近道である、ということもフロー理論の研究者から示されています。*2-1
ただ、チクセントミハイはあくまで、フローを「人生を生きるに値するもの」にするための要素(研究対象)として考えているわけで、社会的な成功への切り札という形でとらえることには慎重なようです。
しかし、この辺りを完全に排除しているかというと決してそういう訳でもなくて、彼は、フロー理論の社会への応用ということを、どうも研究推進に利用している節もあります。学術的な興味を研究の中心におきつつ、社会的な影響力についての配慮を欠かさないところがさすがというか、敗戦後のヨーロッパからアメリカに渡って「成功」した人間としての逞しさを感じさせます。
チクセントミハイが、「フローは幸福につながり、人生を生きるに値するものである」と考えていることは間違いないわけですが、同時に、フローが社会的な状況(成功)とは切り離されているというところがポイントのようです。
フロー経験のもたらすものについて蓄積されてきた研究は、疑いなく近年のフローへの関心の一部を説明するものである。しかし、この関心はある意味で的はずれである。個人という観点からすれば、フロー状態は一つの自己正当化された経験である。それは定義上、それ自体自己完結的なのである。*2-2
チクセントミハイはこのように、「(社会一般が持つ)近年のフローへの関心」が研究の本質に対しては的外れである、ということを明言しています。
また、人間が生きる上で本当に必要なもの、人間にとって人生を価値づけるものは「成功」ではないということを、彼はビクトール・フランクルの言葉を引用して説明しています。
成功を目指してはならない-成功はそれを目指し目標にすればするほど、遠ざかる。幸福と同じく、成功は追求できるものではない。それは自分個人より重要な何ものかへの個人の献身の果てに生じた予期しない副産物のように…結果として生じるものだからである。*1-3, *3
フランクルは、この言葉を彼のヨーロッパとアメリカの学生に対して発しました。
チクセントミハイは一貫して、幸福とは統制された自己あるいは認識のうえに産まれるものである、という考え(研究成果から導かれた信念と言っていいでしょう)をベースにして研究を進めています。
この「統制」(control)という言葉がフロー理論のキーワードです。そして、誰がどのようにこの「統制」を行うのか、ということを考えるのが、チクセントミハイのフロー研究について考えるときの肝どころのようです。
チクセントミハイは本の第1章において、彼が得た研究上の発見のことについて述べています。*1-2
ちょっと長いですが、引用します。
この本を書き始める25年前、私は一つの発見をしたのであるが、その後私は一貫してそれを明らかにしようとしてきた。これは大昔から知られていたことなので「発見」と呼ぶのは誤解を招くかもしれない。(中略)
私が発見したのは幸福というものは偶然に生じるものではないということである。それは偶然の産物などではない。それは金で買えたり、権力で自由になるというようなものでもない。それは我々の外側のことがらによるのではなく、むしろ我々がことがらをどのように解釈するかによるものである。(中略)内的な経験を統制できる人は自分の生活の質を決定することができるようになるが、それは我々の誰もが幸福になれるということとほぼ同じことである。
本書においてチクセントミハイは、この記述に続けて、ナチスの強制収容所を経験したフランクルの上記の言葉を引用しています。
そのフランクルは『夜と霧』において、精神的にも肉体的にも過酷を極めた強制収容所での生活を振り返って、
・自らの生を価値づけるものは、自分自身の考え・認識に他ならない。
・「人を愛する気持ちを糧に生きる」ということは、愛する人がこの世で生きているかどうかは本質的な問題ではない。
ということを述べています。
フローが生じる条件には下記のようなものがあげられます。*2-3(一部改変)
・ 現在の能力を伸長させる(現在の能力よりも高すぎも低すぎもしない)と知覚された挑戦あるいは行為の機会。
・ 明瞭で手近な目標、および進行中のことがらについての即座のフィードバック。
・ その瞬間にしていることへの強い、焦点の絞られた集中。
・ 行為と意識の融合。
・ 内省的自意識の喪失(「はじらい」とか「パフォーマンスへの自己批判」という意識がなくなる)。
・自分の行為を統制できているという感覚。次に何が起ころうともそれへの対処方法がわかっているという感覚。
・時間的経験のゆがみ(とくに時間が早くすぎるように感じる)。
・活動を行う経験自体が内発的な報酬となるので、活動の最終的目標(たとえば勝負や試験、コンクールへの絵画の出品など)がしばしばその活動を行うことの単なる理由付けとなる。
このように、フロー体験とは、行動が「統制」されているのと同時に、自分が統制者であるという感覚が失われている状態でもあります。
この行動が統制された状態を、「身体がうまく使えている状態」の一つの例と考えることができます。
そして、この統制状態とは、環境や状況を整えて、その中に結果として入り込むものであり、この統制状態に入ることにこだわりすぎると、あまり出会えないものです(統制者という自意識が邪魔をする)。
ですから、統制を得るためには自分の中での環境づくりが大切であり、それは積極的にその環境をつかみ取るために何が必要かということよりも、「何が統制を妨げるのか」「フローを妨げるものは何なのか」を知ることが、私たちの身体論では重要になります。
「プラス要素をつかみ取る」という姿勢が目的の達成を遠ざけるならば、「マイナス要素を減らす」ということが私たちにできることになります。
フロー理論は、人間の強みや、建設的な特質について研究するポジティブ心理学における主要な学術領域の一つと位置づけられていますが、この理論の最も重要な点は、結局のところ、「積極的によい状態を獲得する方法」というよりも、「目的達成のための障害を除去する」「目的達成のための障害が何かを知る」ということから成り立っているように思われます。
というわけで次回は、チクセントミハイがどうして「何が人生を生きるに値するものとするのか」という研究をするうえで、フロー体験を取り上げることになったのかというところから始めて、「フローとフローを妨げるもの」のことについてお話します。
*1-1『フロー体験 喜びの現象学』序ⅶ(世界思想社)M.チクセントミハイ
*1-2 同 p2
*1-3 同 p3
*2-1「フロー理論のこれまで」M.チクセントミハイ, J.ナカムラ p22, 『フロー理論の展開』(世界思想社)
*2-2 同 p23
*2-3 同 p2
*3 “Man’s Search For Meaning: The classic tribute to hope from the Holocaust” Frankl, Victor E.