春合宿最終日。
稽古中にTさんが腰を強く打たれたので、病院へつきそう。
公立豊岡病院は、ドクターヘリと救急車がひっきりなしに入ってくる大変忙しい病院だった。
医師になって一年目、岩手県北部の県立福岡病院(現在の二戸病院)に勤務していた頃のことを思い出した。
あのときの私は、だれにも聞こえないほど小さな救急車のサイレンの音を聞きとることができた。
新米内科医だった私は、救急車のサイレンが鳴ると、その20分後くらいに呼び出される。毎回ではないのだが、7,8割の確率で呼び出されていたと思う。
救急車のサイレンが聞こえると、今は使われなくなってしまったポケットベルが、ズボンのポケットの中でピーピーと鳴くのである。
ポケットベルの「ファントムバイブレーション」にも日常的に悩まされていた。
病院で働く人の苦労に思いを馳せると共に、無駄に単純に歳を重ねた一人の四十男として、病院を訪れる人の苦しみにもまた近しさを感じはじめている。
Tさんの腰は、幸い骨には異常がなかった。私は神鍋高原の宿へ戻ったが、Tさんの二人のお友達が、さらに付き添ってくださった。
神鍋から滋賀まで帰るカサイさんが、病院から京都まで帰るTさんと、二人の付添の方を送ってくださった。
「通り道なんで」
いざというときに頼りになる江戸っ子である。