凱風館で行われた下川正謡会・新年練習会に参加。
素謡は『蝉丸』のワキ、舞は『高砂』の舞囃子。
今回は、ご病気で欠席の男性がおられたので、地謡を沢山つとめさせていただいた(Hさんの一日も早いご回復をお祈りします)。
終了後の懇親会では、下川先生から謡と舞のそれぞれについて、注意をいただいた。さらに、「あなたは器用貧乏なところがあるから(注意するように)」というコメントも頂戴した。
私は決して器用な人間ではないし、小さい頃から不器用であることにコンプレックスを抱いて生きてきた。だから、下川先生のこの言葉には結構傷ついたというか、混乱した。
というのも私は不器用なので、何とか自分がやっていることに格好がつくようにと(特に舞)、細かい時間を見つけてはまじめに稽古をしているつもりだった。
そして、さらに、できるだけ舞の流れがぎこちなくならないように、生き生きとした舞を表現できるようにと、実直にやってきたつもりだったのだが、その私の取り組みの結果は、先生からすると「器用貧乏な舞」ということになるみたいなのである。
上述のような事を考えて稽古している私が器用貧乏に見えるというのは、「ギャツビーの心の闇」みたいなものが私の中にあって、それで私は、何かをごまかすような身体運用をしているのだろうか?
私は考えすぎなのだろうか。
(そして、自分の舞を「ギャッツビーの成功」に例えるのは、あまりにおこがましくはないか…)
でも、それはさておき、欠点(不器用であること)をなんとか補おうとして行った自分のパフォーマンスについて、その正反対の表現(器用であるということ)を用いて注意されるというのは、何とも皮肉というか、人生の悲哀を感じずにはいられない。
私がよかれと思ってやっていることについて、下川先生は、「それではいけない」と教えてくださったわけである。
繰り返しになるが、私は器用な人間ではない。はっきり言って、下川先生もそのことはわかっているはずである。その上で何故、下川先生は私に対してこの言葉を使われたのか。それを考えなければならない。
不器用だからこそ、こつこつと稽古して行っている舞が「器用貧乏」になるというのはどういうことなのだろうか。
何か表層的なものを追いかけているようになっているのだろうか。
それは確かにあり得る。
私は『高砂』の舞囃子を、きびきびと力強く舞いたいと考え、繰り返し片山九郎右衛門さんの(清司さん時代の)DVDを見ている。
もしかすると、それが、表層だけの模倣になってしまっているのかもしれない。私はこの九郎右衛門さんの舞が大好きで、とくに神舞が終わった後、「げに様々の舞姫の」の謡が始まったところで、気が満ちて顔が紅潮してくるところを観るとぞくぞくしてくる。
自分なりになんとか、このエネルギーを表現したいと思ってやっているのだが、興奮しすぎるとぎこちない舞になってしまうだろうし、なかなか難しい。
一つは足の運びが、かなり早くないと「きびきび」とは舞えないということがわかってきたので、このあたりがさらにしっかりしてくると、舞の上滑り感が減ってくるのではないだろうか。
運足は舞の基本だから、やはりこちらをもっと充実させていかねばなるまい。
私は本当は器用ではないけれど、下川先生は、そういう言葉を使って、さらに稽古に励むように鞭を入れた、というところが実際のところなのだろう。
「謙虚でないと、いい舞は舞えません」
という下川先生の言葉を、もう一度かみしめる。
話は少し変わるが、実は、「器用・不器用問題」というのは、私にとって日常的な問題である。それも、私のパートナーのイーダがめちゃくちゃ器用なのである。
運動神経がよい、というのとは違うのだが、リズム感と音感がよく、手先も器用で、裁縫から楽器演奏までひょいひょいとこなす。当然、不器用な私としては羨ましいと思わなくもない。
しかし、器用な人と一緒に生活するというのは、嫉妬の炎で自らの身を焼いてしまうよりも、「あなたすごいね、さすがだね」といっていろんな事をやってもらう方が現実的である。
だから私は、この人のことを羨ましいと思わず、そのかわりに「ありがとう(浜村淳風に)」、と思うことにしている。
ただやはり、そうはいってもイーダも仕舞をやっているので、あちらばかりが舞を上手になって、こっちはいつまで経っても形にならないというのではつまらない。お月謝を払って、自分の惨めな舞に指をくわえるということをするほど私はマゾではない。
となると、必然的に私は、自分は器用じゃないから、イーダとは違う路線の舞を表現しなければならない。ということになってくるのである。
彼女は正確な動作というものが好きな人で(それは私も一緒なのだが)、静かで精緻な動きを求めているところがある。舞を習い始めたのは私よりも1年ほど早いし、実際に私よりも上手な訳なのだが(合気道も一緒だが、男女が同じくらいの時期に稽古を開始すると、女性の方が先に上手になる)、どちらかというと学級委員的というか、かしこまりすぎているところがなくもない。
別に、彼女の舞を否定したいわけではなく、私は彼女とは別の路線を自分で切り開いていかなければ、舞を楽しめないと考えたわけである。そのためにはあちらの舞を十分に研究しなければならない。
その結果、私が考えたのが「生き生き・さわやか路線」である。
ここに活路を求めるべく私は、自分の舞の道を切り開いてきた。しかし、その「生き生き・さわやか感」の構築がどうも、「ギャツビー的楼閣」となって来た可能性がある。
うーむ、どうしたものか。
うん。
最近の私は、「しかたがないものはしかたがない」という基本的な考えの基に行動している。
「兄弟の中が悪いのは仕方がない」とか、「親父に裏切り者扱いされるのも仕方がない」とか、「後片付けが苦手なのは幼稚園児の頃から変わっていないのだから仕方がない。なんか、5歳の娘も俺に似ている気がする。仕方がない」
みたいな感じで使用する。
なので、結局私は、「器用貧乏と言われても仕方がない」で、行くことにした。
まじめに稽古を重ねて、「器用」と「貧乏」のどちらが残るのかはわからない。が、どうなってもしかたがないではないか。
私は私の舞を謙虚に優雅に舞うのである。
「おれたちは「器用貧乏」でいくしかないな」と、懇親会で向かいに座っているイーダに言ったら、
「なんでわたしまで一緒にするのよ」と切り捨てられた。
学級委員には人の心がわからないのだ。仕方がない。