日別アーカイブ: 2014年2月17日

2月16日 「能の新年練習会。能とギャツビー的な闇について。」

凱風館で行われた下川正謡会・新年練習会に参加。

素謡は『蝉丸』のワキ、舞は『高砂』の舞囃子。
今回は、ご病気で欠席の男性がおられたので、地謡を沢山つとめさせていただいた(Hさんの一日も早いご回復をお祈りします)。

終了後の懇親会では、下川先生から謡と舞のそれぞれについて、注意をいただいた。さらに、「あなたは器用貧乏なところがあるから(注意するように)」というコメントも頂戴した。

私は決して器用な人間ではないし、小さい頃から不器用であることにコンプレックスを抱いて生きてきた。だから、下川先生のこの言葉には結構傷ついたというか、混乱した。

というのも私は不器用なので、何とか自分がやっていることに格好がつくようにと(特に舞)、細かい時間を見つけてはまじめに稽古をしているつもりだった。

そして、さらに、できるだけ舞の流れがぎこちなくならないように、生き生きとした舞を表現できるようにと、実直にやってきたつもりだったのだが、その私の取り組みの結果は、先生からすると「器用貧乏な舞」ということになるみたいなのである。

上述のような事を考えて稽古している私が器用貧乏に見えるというのは、「ギャツビーの心の闇」みたいなものが私の中にあって、それで私は、何かをごまかすような身体運用をしているのだろうか?

私は考えすぎなのだろうか。

(そして、自分の舞を「ギャッツビーの成功」に例えるのは、あまりにおこがましくはないか…)

 

でも、それはさておき、欠点(不器用であること)をなんとか補おうとして行った自分のパフォーマンスについて、その正反対の表現(器用であるということ)を用いて注意されるというのは、何とも皮肉というか、人生の悲哀を感じずにはいられない。

私がよかれと思ってやっていることについて、下川先生は、「それではいけない」と教えてくださったわけである。

繰り返しになるが、私は器用な人間ではない。はっきり言って、下川先生もそのことはわかっているはずである。その上で何故、下川先生は私に対してこの言葉を使われたのか。それを考えなければならない。

不器用だからこそ、こつこつと稽古して行っている舞が「器用貧乏」になるというのはどういうことなのだろうか。

何か表層的なものを追いかけているようになっているのだろうか。

それは確かにあり得る。

私は『高砂』の舞囃子を、きびきびと力強く舞いたいと考え、繰り返し片山九郎右衛門さんの(清司さん時代の)DVDを見ている。

もしかすると、それが、表層だけの模倣になってしまっているのかもしれない。私はこの九郎右衛門さんの舞が大好きで、とくに神舞が終わった後、「げに様々の舞姫の」の謡が始まったところで、気が満ちて顔が紅潮してくるところを観るとぞくぞくしてくる。

自分なりになんとか、このエネルギーを表現したいと思ってやっているのだが、興奮しすぎるとぎこちない舞になってしまうだろうし、なかなか難しい。

一つは足の運びが、かなり早くないと「きびきび」とは舞えないということがわかってきたので、このあたりがさらにしっかりしてくると、舞の上滑り感が減ってくるのではないだろうか。

運足は舞の基本だから、やはりこちらをもっと充実させていかねばなるまい。

私は本当は器用ではないけれど、下川先生は、そういう言葉を使って、さらに稽古に励むように鞭を入れた、というところが実際のところなのだろう。

「謙虚でないと、いい舞は舞えません」

という下川先生の言葉を、もう一度かみしめる。

 

話は少し変わるが、実は、「器用・不器用問題」というのは、私にとって日常的な問題である。それも、私のパートナーのイーダがめちゃくちゃ器用なのである。

運動神経がよい、というのとは違うのだが、リズム感と音感がよく、手先も器用で、裁縫から楽器演奏までひょいひょいとこなす。当然、不器用な私としては羨ましいと思わなくもない。

しかし、器用な人と一緒に生活するというのは、嫉妬の炎で自らの身を焼いてしまうよりも、「あなたすごいね、さすがだね」といっていろんな事をやってもらう方が現実的である。

だから私は、この人のことを羨ましいと思わず、そのかわりに「ありがとう(浜村淳風に)」、と思うことにしている。

ただやはり、そうはいってもイーダも仕舞をやっているので、あちらばかりが舞を上手になって、こっちはいつまで経っても形にならないというのではつまらない。お月謝を払って、自分の惨めな舞に指をくわえるということをするほど私はマゾではない。

となると、必然的に私は、自分は器用じゃないから、イーダとは違う路線の舞を表現しなければならない。ということになってくるのである。

彼女は正確な動作というものが好きな人で(それは私も一緒なのだが)、静かで精緻な動きを求めているところがある。舞を習い始めたのは私よりも1年ほど早いし、実際に私よりも上手な訳なのだが(合気道も一緒だが、男女が同じくらいの時期に稽古を開始すると、女性の方が先に上手になる)、どちらかというと学級委員的というか、かしこまりすぎているところがなくもない。

別に、彼女の舞を否定したいわけではなく、私は彼女とは別の路線を自分で切り開いていかなければ、舞を楽しめないと考えたわけである。そのためにはあちらの舞を十分に研究しなければならない。

その結果、私が考えたのが「生き生き・さわやか路線」である。

ここに活路を求めるべく私は、自分の舞の道を切り開いてきた。しかし、その「生き生き・さわやか感」の構築がどうも、「ギャツビー的楼閣」となって来た可能性がある。

うーむ、どうしたものか。

 

うん。

最近の私は、「しかたがないものはしかたがない」という基本的な考えの基に行動している。

「兄弟の中が悪いのは仕方がない」とか、「親父に裏切り者扱いされるのも仕方がない」とか、「後片付けが苦手なのは幼稚園児の頃から変わっていないのだから仕方がない。なんか、5歳の娘も俺に似ている気がする。仕方がない」

みたいな感じで使用する。

なので、結局私は、「器用貧乏と言われても仕方がない」で、行くことにした。

まじめに稽古を重ねて、「器用」と「貧乏」のどちらが残るのかはわからない。が、どうなってもしかたがないではないか。

私は私の舞を謙虚に優雅に舞うのである。

 

「おれたちは「器用貧乏」でいくしかないな」と、懇親会で向かいに座っているイーダに言ったら、

「なんでわたしまで一緒にするのよ」と切り捨てられた。

学級委員には人の心がわからないのだ。仕方がない。

 

 

 

2月15日 「合気道当事者研究特別版をする」

2月15日
朝から、日曜日の下川正謡会新年練習会の準備。二組ずつの着物、袴、謡本などを用意する。昼には、呉服の松美屋さんが朝日ヶ丘ホテル(私の家のことです)に来られる。

芦屋ラポルテ本館に店をかまえていた松美屋さんは、ご主人の腰痛が悪化して、昨年の夏に店をたたまれた。扱っている反物は、流行に左右されない古風なものばかりで大変品がよく、短い時間ながらも我々家族は世話になった。

お知り合いの車に同乗され、杖をついて拙宅にこられた松美屋さんに、無地のお召しの誂えを注文した。これは宴席や茶事で身につける予定。

こちらから依頼した話ではあるが、本音を言うと、このような来訪に対して「やっぱり生地が気に入らないのでいりません」とは言いにくい。気に入ったものが見つかり、また、想定の範囲内で事が収まって正直ほっとした。

 

その後、18時からのイベント参加者に食べてもらうおにぎりをローソンで大量購入してから凱風館へ。

合気道の稽古終了後は、合気道当事者研究特別版を行った。ゲストは、べてるの家の向谷地宣明さん。私に宣明さんを紹介してくださった、漫画家の一ノ瀬かおるさん、池田市のグループホームむつみ庵の酒井さんも来られた。

急遽、別のご用事で神戸に来られていた、向谷地生良さん、亀井英俊さんが参加してくださった。向谷地生良さんは、精神科のソーシャルワーカーとして、浦河町にべてるの家を作った方である。

このような形で、内田樹先生と向谷地生良さんにご対面いただく機会ができるとは夢にも思っていなかった(宣明さん、一ノ瀬さんに感謝)。

向谷地生良さんが、べてるのメンバーの皆さんと一緒に始められた当事者研究は、現在、全国各地で行われ、また、「当事者研究に関する研究」も盛んに行われている。

私たちの合気道当事者研究が、当事者研究の「本家」の方々にとってどのようなものとして映るのか若干の心配もあった。

しかし、我々の地道で小さな活動の積み重ねは、私たちなりに何か大切なものを育んでいるという確信だけはあったので、いつも通りの我々のミーティングをそのまま見てもらうことにした。

 

発表者は甲南合気会の田村さんで、テーマは「身体に力が入ってしまうこと」。

合気道を始めてまだ4ヶ月という田村さんの発表に対して、参加されたみなさんから、質問や共感など、興味深い発言が沢山出た。
また最後に、内田師範と向谷地生良さんが貴重なコメントをくださった。

(内田先生は、「悩みと問題」について。向谷地さんは、「カウンセリングと身体性の関係」について。ご自身の体験、当事者研究が生まれた経緯、そして、合気道当事者研究のご感想などをまじえて)

「どのような状況で緊張するか」という話題の時に、べてるの亀井さんが、カフェでコーヒーを運ぶときの状況を例えにして、発言された。

合気道当事者研究において、幻聴の当事者研究の第一人者である亀井さんが発言してくださったときは感慨深いものがあった。私たちのミーティングが、亀井さんに自然に発言してもらえるような場所にまで成長してきたということが嬉しかったのである。

通常の合気道当事者研究は、私が凱風館で稽古枠をいただいている水曜日の夜(気の錬磨稽古・研究会)に、隔週のペースで行っている。2012年の9月に開始して、2013年は22回ミーティングを持つことができた。今年はすでに3回行っているので、この特別版は通し番号で行くと、37回目ということになる。

ここまでこれたのも、私の思いつきで始めた試みにノリよく参加してくださった甲南合気会の仲間と、稽古を温かく見守りつつ、また、ご参加くださったときには毎回貴重なコメントをしてくださる内田先生のおかげです。どうもありがとうございます。

終了後の懇親会(さかなでいっぱいプラス)では、宣明さんから、「合気道と当事者研究のなじみの良さを感じました」というご感想をいただく。今後の継続的な交流についてのお話も出た。大変ありがたいことである。

当事者研究には全国交流会というものがあり、そちらにもよろしければぜひ、とも。

邪魔をしてしまうような気がするが、こちらもチャンスがあれば行ってみたいし、我々の活動の一端を紹介したい気持ちもある。

ポイントは、術技の向上を直接的な目標としてミーティングを行っているわけではない、ということになるだろうか。

もともと、私が合気道当事者研究を始めたのは、向谷地生良さんの「これからは、べてるの活動のあり方が、社会においてどのように生かされるのかについて考えることも大切だと思っている」という言葉に始まっている。
(私はこの言葉を医学書院のケアをひらくシリーズで読んだはずなのだが、どこに書いているのかどうしても探し出すことができない。ごめんなさい)

道場というコミュニティにおいて、「自分自身で、ともに」をキーワードとした当事者研究を行うことは何か新しいものを生み出すのではないか(人間が閉じこもりがちな、自分の殻を破る一つの方法になるのではないか)。そして、この活動は、私に多くの発想と刺激をもたらしてくださった、べてるの家と向谷地生良さんに対する、ひとつの「返事」になるのではないかと考えて、この活動をはじめた。

 

というわけで、邪魔かもしれないですけれど、都合がついたらぜひ全国交流会にも参加させていただきたいと思います。

特別版にご参加くださったみなさま、関係各位に深く感謝いたします。