午前中は、家で子供と過ごす。レポートの採点など。
午後からは、大学で教務委員会。
夜は昨日に引き続き、ニレをつれて凱風館へ。
午前中は、家で子供と過ごす。レポートの採点など。
午後からは、大学で教務委員会。
夜は昨日に引き続き、ニレをつれて凱風館へ。
凱風館で行われた、YOO先生の医療経済レクチャーに参加。
世界経済の停滞によって確実な投資先が失われた今、アメリカでは医療と教育が経済活動の「最後のフロンティア」になっている。
医療と教育それぞれの分野で、経済活動のターゲットになっているのは貧困層と兆富裕層。アメリカでは、貧しい人への医療と教育の提供で金を儲けるということが行われている。
一方製薬会社は、莫大な研究開発費を投入した新規抗がん剤を、非常に高い値段(1カプセル10万円とか)で販売。値段設定自体が不透明な「言い値状態」で、命の危険にさらされた人に対して、薬を売りつけている。当然ながら、高い薬を買うことができるのは富裕層のみである。
現在のアメリカの経済活動を支えている巨大製薬会社は、政治的影響力(献金、ロビー活動)が強く、政府も本腰でこれらの企業の医療バブル形成活動に歯止めをかけることができない。
かくして、中間層の医療はないがしろにされ、全体としての医療格差は広がるばかりである。
社会システムの構築においてアメリカの模倣をし続けてきた日本もまた、確実にその方向へ向かいつつある。
この目を背けたくなるような事実を、YOO先生ははっきりと教えてくれた。
経済成長神話に基づく資本主義社会の維持・拡大がもはや不可能であることは、もはや前提となった感がある。
先日読んだ、『人口減少社会という希望』(広井良典)でも、定常化社会を意識したコミュニティ経済の重要性が述べられていた(この本はおすすめです)。
単なるアメリカの模倣では無い形での、日本の医療システムの未来をしっかりと考えていかなければならない。
大切なことは、繰り返し言い続ける必要があるということも実感させられたレクチャーだった。
それほどまでに、「アメリカの模倣」は多くの日本人の中に深く習慣づけられているもののように思う。
それは、私自身の実感でもある。アメリカは医学研究の世界中心である。私は大学院生時代から書いたほぼ全ての医学論文をアメリカで出版されている医学雑誌に発表してきた。また、診察法を含めた診察技術は、アメリカの教科書で学び、それを患者に提供してきた。
医学研究のコンテンツや、診療技術のスタンダードを提供することと、医療システムの構築を別物だというのは頭では分かっている。
今後はそれらを、常に頭の中ではっきりと区分し、取り入れるべきものは取り入れ、拒否するものは拒否しなければならない。本当に面倒なことだが、それをしない限り、医師として、あるいはこの国に対して一定の責任を負った一人の国民として、日本の医療のことをまともに考えることはできないと感じている。
明らかに悪いと分かっているのに、それをしてしまう。それをすることによって、迷惑する人がいるのに、それをやめられない。
このような振る舞いのことを、「依存」という。
依存状態にある人は、論理的な枠組みを持ってきて、自分の行動を修正することができない。
・悪いと分かっていても、とことん酒を飲んでしまう。
・明らかに問題のある行動なのに、「親」からそれを強要されると、自動的にその行動を行ってしまう。あるいは、自らの中に内面化した「親」が、勝手に自分の異常行動を後押しする。
依存的な枠組みからの脱却のためにできることは1つしかない。それは、依存を起こすものと距離をとることである。
私は、アメリカに依存していたと思う。日本の未来をすこしでもまともに考えるために、私は私の中のアメリカと距離を置くことにした。
親と離れるのはつらいことだ。でも、それをしなければ、仲間や自分の子供を守ることはできない。
「子供より親を大事と思いたい」(@太宰治)けれど、もうそういうわけにはいかないのである。
希望はある。
日本固有の医療制度を守る方策を、多くの賢人の力を借りて考えていきたい。