まつ組(ニレの幼稚園)お茶会に参加。
ママに混じって父親として一人参加する。
私としては、もうこういう状況には慣れてしまったのでどうってことないのだが、そして、結構楽しんでもいるのだが、同席したお母さんたちが、思う存分ママトークできないのじゃないかと思い申し訳ない。
そのあたりは、同じ組のペアレンツ仲間として勘弁していただきたい。
午後からは、家に帰って猛然と模試の問題作り。問題作成よりも解説作りがしんどい。
夜は合気道の稽古へ行く。フライデーナイトは久しぶりだった。
まつ組(ニレの幼稚園)お茶会に参加。
ママに混じって父親として一人参加する。
私としては、もうこういう状況には慣れてしまったのでどうってことないのだが、そして、結構楽しんでもいるのだが、同席したお母さんたちが、思う存分ママトークできないのじゃないかと思い申し訳ない。
そのあたりは、同じ組のペアレンツ仲間として勘弁していただきたい。
午後からは、家に帰って猛然と模試の問題作り。問題作成よりも解説作りがしんどい。
夜は合気道の稽古へ行く。フライデーナイトは久しぶりだった。
ニレの弁当を作ってから、幼稚園に送る。
授業を3コマ行った後、締め切りが迫っている模擬試験問題の作成を行う。
18時に子供を迎えに行ってから帰宅。
公文のプリント5枚を見た後、家族3人プラスイーダ母の4人で夕食。
夕食後も少し問題作成を行う。おしりに火がついている。
幼稚園にニレを送ってから授業。
午後は産業医。
その後、凱風館で稽古。本日は合気道当事者研究。
鯉田さんが発表をしてくださった。テーマは、「力んでしまうこと」。
体や心の使い方について色々興味深い意見が出された。
終了後は、トマさんと久しぶりに魚でいっぱいへいく。
魚で3杯ほどビールを飲む。
幼稚園にニレを送ってから、授業。
午後は、今日までが期限だったことを忘れていた科研費の実績報告書を作成する。
夕方ニレを幼稚園に迎えに行ってから、公文の体験学習へ。足し算をする。
二人で夕食のあと、風呂に入り、就寝。
「まゆとニレとくっつきおばけ」の話が、サイコロの旅に突入するという佳境を迎えているのだが、私もニレも眠くてあまり進まなかった。
やまんばの娘であるまゆとニレは竜に乗って日本全国を回って遊んでいる。くっつきおばけは、にれが日頃から数々のエピソードをともにしている朝日ヶ丘ホテル界隈のおばけなのだが、今回は、竜の背中から落下しないために、ニレの旅行に帯同し、安全確保のために一役買ってくれている。
くっつきおばけはその名前の通り、いろんなものとくっついて離れないおばけなのである。
芦屋から出発した二人と、ひとりのおばけと竜の旅は、北海道の湖(支笏湖)、札幌、富士山、駿河湾、小牧、本の城(名古屋近辺)と進み、そこからサイコロの旅に突入した。
最近、水曜どうでしょうを観る時間があまりないので、どうもストーリーの運びが悪い。
早朝に自転車で家を出て、阪急芦屋川駅へ。
松蔭で朝稽古の後、合気道の授業。
昼は、4年生と3回目のランチ勉強会を行った。その後、専門科目の授業を1コマ。
夕方、スーパーで家族と落ち合って買い物。
夕食は、焼き魚(鰆)、じゅんさいの味噌汁など。
パートナーが一日東京のため、ニレと二人で過ごす。
洗濯などの家事、楽器練習、体験学習中の公文プリントなどをこなしてから西宮ガーデンズへ。
『アナと雪の女王』を見る。
初回は、ストーリーに強い違和感を感じたのだが、さすがに3回目になると、制作者がどのようなことを考えてこの物語を作成したのかと言うことがだんだん分かってきた。
シネコンの食べ物と飲み物の注文の仕方にも相当慣れてきた。
午後からは、甲南麻雀連盟の例会に参加。3戦1勝。
能の稽古と合気道の稽古。
高砂の舞囃子の稽古は、申し合わせ前の最終稽古となった。師匠にいくつか、型を直していただく。
稽古前にアマチュアと玄人の違いなどなど、芸談を伺う。
アマチュアとしての誇りをもって稽古するのが大事だと私は思っている。「何故私は芸事を行うのか」ということを常に考えている。
午前中は大阪で産業医。
午後は、学生の実習先(病院)訪問のため宝塚へ。
病院へ行くと、そこが自分の働く場所では無くなったということを思い知らされる。
自分で決めたことなので仕方が無いのだが、何となく仲間はずれになったような気持ちになりちょっとだけ寂しい。
でも、私には今の仕事(大学教員と産業医)の方が合っているように思う。まぶしい眼差しで病院というものを眺めることができるようになったということが、どこか嬉しくもある。というか、やっぱり寂しいよりも嬉しい気持ちのほうが強い。
どうしてこんなに人と同じことができないのだろうか。いい歳をして情けない。けれど、仕方が無い。
田舎育ちということもあり、わたしは「空いてる電車」が好きなのである。というか、満員電車には乗り続けることができない(田舎の人間がみな私と同じようだとも思えないのだが)。
2001年に私は認定内科医の試験というものを大阪国際会議場で受験したのだが、内科医の数のあまりの多さに発狂しそうになった。なぜだかわからないが、すごく嫌だった。そして、それから12年後に臨床の第一線から退いてしまった。
私は私のお医者さんのみち(「グレーゾーンの医者」と呼んでいる)をてくてく進んでいくしかないだろう。これが中々楽しい道なのである。ひとりぼっちで歩いていると、道ばたにタンポポが咲いていたり、ハーモニカを吹いている闘牛士が居たりする。
あんまり人が増えるとまた違う場所を探さなければいけないので困るのだけれど、実は結構おすすめのキャリアである。
歳をとって何らかの心配がでてくることもあるかもしれないが、オーディナリーな内科医だって同じことである。むしろ、齢を重ねる自分と愉快に向き合っていくために私は職を変えた。
自分のフィールドで、メモリの細かな仕事を積み重ねて行きたいものである。
おお、どうしたのだろう。くどくどとつぶやいてしまった。
西宮で雨の日用の靴を購入してから六甲までニレを迎えに行く。
家に帰って、公文の勉強を少し見てやってから夕食作り。
あ、仕事に主夫業を書くのをわすれていた。なんか忙しいなあ。
移動が多い日だった。
本日は、新城先生の特別講義の2日目(同じ授業を2クラスで行っているので、2回ご出講いただいた)。
昨日は、同じ専攻の先生が1名、本日は3名が学生諸姉とともに聴講くださった。みなさん、新城先生の話に深く聞き入っていた。
7月には、新城先生と阪大病院のナベタニ師長と3人で神戸女学院で医療とコミュニケーションの集中講義を行うことになっている。こちらは今年で3年目になる。
だいぶ息が合ってきたので、今年も楽しみである。
新城先生の講義の後は、臨床栄養学の授業を2コマ。こちらは、「ジグソー法」という協同学習の手法を取り入れている。
授業終了後は、教授会と専攻会議。
ニレを幼稚園へ送った後、大学へ。
本日は、緩和ケア医の新城拓也先生をお迎えして「終末期医療」についての特別講義をしていただいた。
多くの学生が、新城先生の医療現場の話を聞いて心が揺さぶられた様子だった。管理栄養士を目指す上で大きな刺激になったようである。
新城先生、どうもありがとうございました。
午後は大阪で産業医。夜は、凱風館で合気道の稽古を担当。
稽古に参加してくださった内田先生に久しぶりに投げていただく。全身の細胞が「ぐわっ」と活性化した。