8月11日 久しぶりの一人暮らし。

妻とニレが、仕事兼墓参りで愛知県方面へ旅立ったので、今日から3日間の独身生活。

心をいたずらに躍らすこと無く、論文執筆に取りかかる。

調べ物をしたり、昼寝したりしながら、着実に仕事を進める。ロバのようなスピードでも、着実であることには変わりはない。

夕方になり、今日の分のめどがついたので、スーパーへ買い物へ行く。

バケットや、鶏の唐揚げや、サラダ菜などを買い、家に帰る。

8月2日にあった幼稚園の夕涼み会から飼っている3匹の金魚のうち、一匹がとても弱ってきた。

明日の朝までもつだろうか。

10時前に眠くなり、電気を消して寝る。なんだか、年寄りみたいだ。

8月10日 歌仙会を終えて。

下川正謡会歌仙会(夏期練習会)の日。

10時開始だったのだが、翌日から仕事で使用する書類(新城先生と行っている共同研究の論文作成資料)をとりに、大学へ行く。

御影の下川舞台から大学までは車で10分ほどの距離なのでありがたい。

台風のせいで昨日につづいて雨風が強く、9日10日と連続して開催予定のオープンキャンパスに大きな影響が出ている。天候には逆らえないが、1年かけて準備を進めてきた担当部署の方々の気持ちを考えると胸が痛む。

 

10時過ぎからは、歌仙会。『百萬』のシテと、『野守』の独吟をさせていただいた。

地謡は、ご高齢と体調不良でこられなくなったHさんの穴の大きさを感じる。社中での先輩男性は、お二人だけになってしまった。

終了後、慰労会でビールを飲みながら、下川先生や先輩のお話を伺う。プロとアマチュアの違いは多々あるが、「舞台に上がることができなくなったらそれで終わり」、というしごく当たり前の事だけは全く同じだなと感じる。

準備を重ねる日々、舞台に上がっているそのとき、その両方だけが、人間が生きている時間そのものだ。そのうえで、舞台に上がっているときに何を表現するのか。その前にどのような準備を重ねるのか。

それを自分の立場できちんと考えることは、プロであろうがアマチュアであろうが大切なことに変わりはない。だって、それはそれぞれの人間が生きている有限な時間の一部であることにかわりはないのだから。

ポエム的な表現になってしまったが、大まじめにそう思っている。だって本当に「死んだら終わり」だし、「舞台に立てなくなったら終わり」なんだから。極端な話、終わった舞台、終わったパフォーマンスをそのまま生き生きと残し続けられるのは「神様」だけだろう。

 

私は、芸事として仕舞や謡が上手くなりたいと思っている。なので、自分なりにがんばって稽古をするわけなのだが、それは単に、「技能スケール」でメモリが上に上がったものを表現したいと思っているからでは無い。

私は自分の身体を通して、その瞬間にしか作り出せない時間だったり、自分が好きなセンスだったり、清らかさだったり、優雅さだったり、強さだったりを表現したいと思っていて、それは、がんばって稽古しないと、身体も心もそれを表現するような体制にならないので、がんばって稽古するのである。

そして、その表現の送り先は主に自分自身だったりする。これが、アマチュアということなのだろう。

そういうことを大切にしながら能楽と関わっているので、私はプロであってもアマチュアであっても、「その人自身」が現れている舞台が好きだし、そういうものに接すると、能楽の稽古をしていることの喜びを感じる。

たとえばそれは、病気で長く休まれた後で稽古に出てこられた高齢の女性が、やせ細った身体で仕舞を舞う姿、扇の先端にまであふれる緊張感と命の儚さとか、そういうものだ。それは、舞手の意思とか自我とかそいうものを超えて、周りが勝手に受け取っているもののような気もする。

このように能楽は、上手かろうが下手だろうが、稽古をしている間だけが、新しい「時間」を持つ可能性を有している。

舞台に立てなくなったら、その人は、また別の形で、私や私以外の人に影響を与えるようになる。それはまさに、稽古に来られなくなったH先輩が私に影響を与えているように。

 

8月9日

台風到来で激しい雨の中大学へ。4年生の管理栄養士国家試験対策講座(外部講習)の付き添い。

ニレは37度台の発熱が続いているが、すこしずつ元気になってきた。

夜になり、喉が痛み出してきた。風邪が伝染ったか…

8月7日

娘のニレの6歳の誕生日。

昨日からあいにくの発熱だが、わりと元気に過ごしている。

誕生日プレゼントは、本人の希望で一輪車。

小児科へ行く娘を送ったあと、私は大学で拡大教務委員会に出席。

帰宅して、誕生日の夕食を、ニレ、妻、イーダ母、私の4人で食べる。

私の担当は、一学期に弁当作りで作り続けた「オクラの豚巻き」。他には、手羽先と大根の煮物、コーンスープなど、彼女の好物がならんだ。

むすめの熱が続いており、明日はイーダ母も帰宅されるため、明日は育児体制を調整する必要あり。

ニレの誕生祝いのメッセージを多数頂戴した。みなさまのおかげでここまで大きくなりました。深く感謝します。

来年も元気で、誕生日を迎えてもらいたい。1年1年の積み重ねだなあ。

8月6日

ニレが40度近い発熱。

小児科へ送ってから、仕舞の稽古へ行く。

「野守」の仕舞と、日曜日の歌仙会でシテをつとめる「百萬」の謡いを稽古していただく。

その後昨日に引き続いて産業医。

凱風館が夏休みなので、めずらしく夜は家にいる。

誕生日は熱が下がるといいのだが。

8月5日

朝、娘を公文へ送ってから産業医へ。

その後、家に帰ってからパスポート受け取りのために、ニレをつれて三宮へ出かける。

 

8月4日

午前中は、家で子供と過ごす。レポートの採点など。

午後からは、大学で教務委員会。

夜は昨日に引き続き、ニレをつれて凱風館へ。

8月3日 アメリカと私。

凱風館で行われた、YOO先生の医療経済レクチャーに参加。

世界経済の停滞によって確実な投資先が失われた今、アメリカでは医療と教育が経済活動の「最後のフロンティア」になっている。

医療と教育それぞれの分野で、経済活動のターゲットになっているのは貧困層と兆富裕層。アメリカでは、貧しい人への医療と教育の提供で金を儲けるということが行われている。

一方製薬会社は、莫大な研究開発費を投入した新規抗がん剤を、非常に高い値段(1カプセル10万円とか)で販売。値段設定自体が不透明な「言い値状態」で、命の危険にさらされた人に対して、薬を売りつけている。当然ながら、高い薬を買うことができるのは富裕層のみである。

現在のアメリカの経済活動を支えている巨大製薬会社は、政治的影響力(献金、ロビー活動)が強く、政府も本腰でこれらの企業の医療バブル形成活動に歯止めをかけることができない。

かくして、中間層の医療はないがしろにされ、全体としての医療格差は広がるばかりである。

社会システムの構築においてアメリカの模倣をし続けてきた日本もまた、確実にその方向へ向かいつつある。

この目を背けたくなるような事実を、YOO先生ははっきりと教えてくれた。

経済成長神話に基づく資本主義社会の維持・拡大がもはや不可能であることは、もはや前提となった感がある。

先日読んだ、『人口減少社会という希望』(広井良典)でも、定常化社会を意識したコミュニティ経済の重要性が述べられていた(この本はおすすめです)。

単なるアメリカの模倣では無い形での、日本の医療システムの未来をしっかりと考えていかなければならない。

大切なことは、繰り返し言い続ける必要があるということも実感させられたレクチャーだった。

それほどまでに、「アメリカの模倣」は多くの日本人の中に深く習慣づけられているもののように思う。

それは、私自身の実感でもある。アメリカは医学研究の世界中心である。私は大学院生時代から書いたほぼ全ての医学論文をアメリカで出版されている医学雑誌に発表してきた。また、診察法を含めた診察技術は、アメリカの教科書で学び、それを患者に提供してきた。

医学研究のコンテンツや、診療技術のスタンダードを提供することと、医療システムの構築を別物だというのは頭では分かっている。

今後はそれらを、常に頭の中ではっきりと区分し、取り入れるべきものは取り入れ、拒否するものは拒否しなければならない。本当に面倒なことだが、それをしない限り、医師として、あるいはこの国に対して一定の責任を負った一人の国民として、日本の医療のことをまともに考えることはできないと感じている。

 

明らかに悪いと分かっているのに、それをしてしまう。それをすることによって、迷惑する人がいるのに、それをやめられない。

このような振る舞いのことを、「依存」という。

依存状態にある人は、論理的な枠組みを持ってきて、自分の行動を修正することができない。

・悪いと分かっていても、とことん酒を飲んでしまう。
・明らかに問題のある行動なのに、「親」からそれを強要されると、自動的にその行動を行ってしまう。あるいは、自らの中に内面化した「親」が、勝手に自分の異常行動を後押しする。

依存的な枠組みからの脱却のためにできることは1つしかない。それは、依存を起こすものと距離をとることである。

私は、アメリカに依存していたと思う。日本の未来をすこしでもまともに考えるために、私は私の中のアメリカと距離を置くことにした。

親と離れるのはつらいことだ。でも、それをしなければ、仲間や自分の子供を守ることはできない。

「子供より親を大事と思いたい」(@太宰治)けれど、もうそういうわけにはいかないのである。

希望はある。

日本固有の医療制度を守る方策を、多くの賢人の力を借りて考えていきたい。

 

 

 

8月2日

雨の中、凱風館大掃除。

稽古は、第2部の途中まで出て、それからニレを幼稚園の夕涼み会へ送り届ける。

夕涼み会終了まで、妻と二人で夕食。六甲道駅近くのパスタ&ピザ屋へ行った。

話題は「家事ハラスメント」「人口減少社会の希望」など。

夕涼み会へ子供を迎えに行ってから、ニレがゲットした3匹の金魚を水槽に入れる。

昨年の2匹(ピコ&シゲ)は、翌日無念の昇天だった。今年はどうなるか…