4月27日

電話会談を経て執筆関係は、新たなフェイズに入った。方針が明確になるというのは気持ちが良いものである。

授業を二つ。昼休みに学生面談。

グループ学習を改装後まもない1221教室で行ったのだが、非常に使いやすかった。

夜は合気道部の稽古。5名が参加して充実した稽古ができた。引き続き抑え技を重点的に行っている。

4月26日 

丸1日産業医講習会@大阪市立大学

昼休み、買っていった小さな弁当を食べ終えると時間が余ってしまった。天気がよいので散歩することにした。

うどんでも食べようかとぷらぷら歩いていると、人通りの少ない商店街が目に入った。シャッターが閉まった店の多い薄暗い商店街を歩いている途中で、なんとなく「この商店街は、俺の手に負えない場所だ」と感じた。

アーケード内のほこりっぽい匂いとか昭和な喫茶店の佇まいなどは、神戸の水道筋と似ていなくもないが、決定的に何かが違うように思われた。

手に持っている財布を取られないように気をつけながら(といっても、お年寄りしか歩いていないのだが)突き当たりのパチンコ屋を目指して歩いて行くと、左側に「飛田会館」というものが見えた。飛田会館は、やはりシャッターがしまっていた。

ここはそういう場所だった。中華料理屋で450円のラーメンを食べてから、もう来ることもないだろうと思い、「ストリート」を歩いてみた。当然のように声がかかる。

アニメから出てきたような女性が座ってほほえみかけている。なるほど、こういうところにまでアニオタの影響は及んでいるのか。

通りの最後には、まるでオチを付けるかのように「ベテラン級」の女性が座っていた。そういう需要もまたあるということなのだろう。

陰湿な感じのない、不思議な空間だった。

出来事を家に帰ってから話し、妻がもっていた飛田関係の本を少し読み始めた。

『さいごの色町飛田』は、以前少し読んだだけでどこかへ行ってしまった。こちらも改めて読もうと思う。

産業医講習会は、メンタルヘルスの実践講習でいくつかの有益な情報を得ることができた。

4月25日

大阪で行われた日本医史学会へ。

夕方からは仕舞と謡の稽古。

しかし、鉢木のワキは難しい。これまでに勤めさせてもらったどの役よりも困難を感じている。

4月24日 髪は白いが、私はお父さんです。

朝から神戸で人間ドック。

今年は胃カメラを口から飲んでみた。

経鼻カメラは、局所麻酔薬の副作用で頭痛がしばらくのこるのでしんどいのである。

午後からは産業医。火曜日と同様、ニレを小学校へ迎えに行き、公文と食事作りという日。

小学校の同級生の男の子から「ニレちゃんのおじいちゃん?髪が白いよ」と言われる。

髪は白いが、私はお父さんです。

4月23日

2クラスに病理学の講義をする木曜日。

昼休みに、編集者のYさんと電話打ち合わせ。

久しぶりに会議のない木曜日をしみじみと過ごす。こういう日は年に何度もないだろうなあ。

 

4月22日

いつものように4時30分頃おきて、書き物関連の作業。

三宅接骨院で施術をしていただいてから大学へ行き、授業。

女性学と身体性について考えている。

4月21日

午前中は専門科目の授業。午後は産業医。初めて学童の延長をして、ニレを小学校まで迎えに行く。

公文の送り迎えの後、夕食の用意。

大学→産業医→小学校へ迎え(学童)→公文送り迎え(間に夕食の買い物)→夕食作成

と、火曜日はなかなか忙しい。しかし、幼稚園に通っていた頃よりも、朝の送りがない分少し楽かな。