「日記など」カテゴリーアーカイブ

2月21日 送別会を風邪でドタキャンする。ごめんなさい。

午前中は産業医。久しぶりに電車で移動。

出勤時間が早かったので、幼稚園の送りはイイダに頼んだ。

午後は大学に行き、外部業者との打ち合わせ。

夜は送別会に参加の予定だったが、夕方から頭痛と鼻水が極端にひどくなり、やむなく欠席。

ニレを迎えに行って、電車で帰宅した。

うちに帰ると家具屋さんが来ていて、居間の寸法を測っている。本棚を作るらしい。
妻の転勤に伴い、朝日ヶ丘ホテルは図書館化するようである。

 

2月20日 風邪がなかなかよくなりません。

午前中は大学で、2ー4年生のボランティアの学生諸姉と新入生歓迎会の打ち合わせ。

昼は下山し幼稚園へ。用事を済ませてから、イイダと昼食(二日連続で同じ中華食堂)。

午後は再び山の上の大学に戻り、学生部主催の研修会。学生相談室のカウンセラーを長年勤めている他学の先生の講演。

教授会に出席後、所属している専攻の会議。
会議の途中から、鼻水と頭痛に苛まれる。長時間にわたる会議だったが、来年のスケジュールや役割分担など、いろいろなことが決まった。

19時30分に大学を出て、今度はワンドロップの練習。
メンバーであるドストエフ川上牧師が異動されるので、東神戸協会でリハをするのもあと1,2回となった。

21時30分過ぎに家に帰って夕食。
MCCのキーマカレー、ビール小瓶一本と温めた酒を一合。あとは、たらこを少し。

テレビをつけて、浅田真央さんのショートプログラムが不本意な結果だったと聞いて、胸を痛める。

 

 

 

2月19日 

ニレを幼稚園に送った後大学へ。

来年度、学外から本学の授業サポートをお願いしているA先生とS先生の面接に同席する。

健康スポーツ科学関連のコマで合気道を用いた授業を行うことを依頼され、前後期で一コマずつ行うことになった。
お二人の先生には、こちらの授業をお手伝い頂くことになっている。

K部長との和やかな面接を終えてから、三人で中華料理を食べる。
仕事や、ジョブハンティング、フットサルのことなどについてお話を聞いた。

午後からは、産業医。
メンタル問題で休職していた社員の復職面談、長時間残業者との面談など。

その後は一旦帰宅してから凱風館へ行き、夜稽古(気の錬磨稽古•研究会)を行う。普段はこの時間にはあまり来られない方が参加されていた。

公共放送にお勤めなのだが、

「オリンピックのおかげでちょっと時間ができたんです」

とのこと。
五輪のおかげで充実した稽古になった。

インフルエンザからようやく回復した中学生のSちゃんも来ていた。

稽古後はジョギング帰りの新城先生と研究打ち合わせ(@さかなでいっぱい)。
新城先生とは、がんと食事に関する研究プロジェクトを進めている。

質問紙調査に基づく研究なのだが、送付したアンケートが少しずつ事務局に戻ってきており、その状況などを報告する。

 

新城先生から合気道当事者研究についての質問を受け、いくつかお答えする。

合気道当事者研究には、数少ない約束事がある。

一つは、誰かの発言内容を否定しないということである。

しかし、実はこの約束事も私の中で勝手に決めているだけで、参加している方に話したことはほとんどない。

もう一つ上げるとするならば、ミーティングのテーマについての直接的な答えを求めない、ということがある。

これらのことを忠実に守るとどうなるか。

簡単である。

何をやっているのかわからなくなることがよくある。

以上。

でも、それでいいのだと思う。

このことについては、いずれまた。

 

合気道当事者研究に参加された方は、色んな感想をいってくださる。

「ミーティングの後の稽古の感覚が、いつもの稽古と少し違う」

「他の人が、自分とは全然違うことを考えていることがわかってびっくりした」

「この発表が一体どこに、収まるのだろうと思ってハラハラした」

「今日のテーマは、まさに自分が悩んでいたことだった」

 

 

2月18日 子供の演劇をみて、不覚にも涙する。

凱風館で朝の代稽古を行う。20名ほどが参加。

朝の代稽古を担当するときは、参加するみなさんが一日を清々しく過ごせるような稽古にしたいと考えている。

終了後はニレの幼稚園に向かい、「生活発表会」を観覧。同じクラスの保護者の皆さんと一緒に最前列に陣取り、子供たちの演劇を観た。横に並んでいるお母さんの涙に、思わずもらい泣きする(恥ずかしい…)。

昼に、東京に住む伯父から電話があった。昭和一桁生まれの伯父は今でも現役の泌尿器科医である。処方薬についての相談だった。このような電話を伯父から受けるのは初めてだった。血液内科医というのは、消化器や循環器の医者に比べるととても少ないので、相談事があるときに困るのだろう。

昼に幼稚園が終了したニレを連れてインドカレーを食べてから帰宅。その後は自宅で大学関連の仕事。
夕食は、昼に摂取した大量のナンの影響で、ほとんど食べることができなかった。

 

2月17日

幼稚園にニレを送ってから、大学で国試対策関連の授業を一コマ。

午後からは本日も産業医。面談が数名。

終了後、卵と麻婆豆腐の材料などを購入して帰宅する。

イーダ母が名古屋方面から朝日ヶ丘ホテルに来て、4人で夕食。麻婆豆腐をすすりながら、菊正宗を少しすする。翌日は凱風館の代稽古担当なので、酒は控えめにした。

リビングルームが寒いので、ガスのラインを引いてガスファンヒーターを設置することをイイダが計画しているらしい。

 

2月16日 「能の新年練習会。能とギャツビー的な闇について。」

凱風館で行われた下川正謡会・新年練習会に参加。

素謡は『蝉丸』のワキ、舞は『高砂』の舞囃子。
今回は、ご病気で欠席の男性がおられたので、地謡を沢山つとめさせていただいた(Hさんの一日も早いご回復をお祈りします)。

終了後の懇親会では、下川先生から謡と舞のそれぞれについて、注意をいただいた。さらに、「あなたは器用貧乏なところがあるから(注意するように)」というコメントも頂戴した。

私は決して器用な人間ではないし、小さい頃から不器用であることにコンプレックスを抱いて生きてきた。だから、下川先生のこの言葉には結構傷ついたというか、混乱した。

というのも私は不器用なので、何とか自分がやっていることに格好がつくようにと(特に舞)、細かい時間を見つけてはまじめに稽古をしているつもりだった。

そして、さらに、できるだけ舞の流れがぎこちなくならないように、生き生きとした舞を表現できるようにと、実直にやってきたつもりだったのだが、その私の取り組みの結果は、先生からすると「器用貧乏な舞」ということになるみたいなのである。

上述のような事を考えて稽古している私が器用貧乏に見えるというのは、「ギャツビーの心の闇」みたいなものが私の中にあって、それで私は、何かをごまかすような身体運用をしているのだろうか?

私は考えすぎなのだろうか。

(そして、自分の舞を「ギャッツビーの成功」に例えるのは、あまりにおこがましくはないか…)

 

でも、それはさておき、欠点(不器用であること)をなんとか補おうとして行った自分のパフォーマンスについて、その正反対の表現(器用であるということ)を用いて注意されるというのは、何とも皮肉というか、人生の悲哀を感じずにはいられない。

私がよかれと思ってやっていることについて、下川先生は、「それではいけない」と教えてくださったわけである。

繰り返しになるが、私は器用な人間ではない。はっきり言って、下川先生もそのことはわかっているはずである。その上で何故、下川先生は私に対してこの言葉を使われたのか。それを考えなければならない。

不器用だからこそ、こつこつと稽古して行っている舞が「器用貧乏」になるというのはどういうことなのだろうか。

何か表層的なものを追いかけているようになっているのだろうか。

それは確かにあり得る。

私は『高砂』の舞囃子を、きびきびと力強く舞いたいと考え、繰り返し片山九郎右衛門さんの(清司さん時代の)DVDを見ている。

もしかすると、それが、表層だけの模倣になってしまっているのかもしれない。私はこの九郎右衛門さんの舞が大好きで、とくに神舞が終わった後、「げに様々の舞姫の」の謡が始まったところで、気が満ちて顔が紅潮してくるところを観るとぞくぞくしてくる。

自分なりになんとか、このエネルギーを表現したいと思ってやっているのだが、興奮しすぎるとぎこちない舞になってしまうだろうし、なかなか難しい。

一つは足の運びが、かなり早くないと「きびきび」とは舞えないということがわかってきたので、このあたりがさらにしっかりしてくると、舞の上滑り感が減ってくるのではないだろうか。

運足は舞の基本だから、やはりこちらをもっと充実させていかねばなるまい。

私は本当は器用ではないけれど、下川先生は、そういう言葉を使って、さらに稽古に励むように鞭を入れた、というところが実際のところなのだろう。

「謙虚でないと、いい舞は舞えません」

という下川先生の言葉を、もう一度かみしめる。

 

話は少し変わるが、実は、「器用・不器用問題」というのは、私にとって日常的な問題である。それも、私のパートナーのイーダがめちゃくちゃ器用なのである。

運動神経がよい、というのとは違うのだが、リズム感と音感がよく、手先も器用で、裁縫から楽器演奏までひょいひょいとこなす。当然、不器用な私としては羨ましいと思わなくもない。

しかし、器用な人と一緒に生活するというのは、嫉妬の炎で自らの身を焼いてしまうよりも、「あなたすごいね、さすがだね」といっていろんな事をやってもらう方が現実的である。

だから私は、この人のことを羨ましいと思わず、そのかわりに「ありがとう(浜村淳風に)」、と思うことにしている。

ただやはり、そうはいってもイーダも仕舞をやっているので、あちらばかりが舞を上手になって、こっちはいつまで経っても形にならないというのではつまらない。お月謝を払って、自分の惨めな舞に指をくわえるということをするほど私はマゾではない。

となると、必然的に私は、自分は器用じゃないから、イーダとは違う路線の舞を表現しなければならない。ということになってくるのである。

彼女は正確な動作というものが好きな人で(それは私も一緒なのだが)、静かで精緻な動きを求めているところがある。舞を習い始めたのは私よりも1年ほど早いし、実際に私よりも上手な訳なのだが(合気道も一緒だが、男女が同じくらいの時期に稽古を開始すると、女性の方が先に上手になる)、どちらかというと学級委員的というか、かしこまりすぎているところがなくもない。

別に、彼女の舞を否定したいわけではなく、私は彼女とは別の路線を自分で切り開いていかなければ、舞を楽しめないと考えたわけである。そのためにはあちらの舞を十分に研究しなければならない。

その結果、私が考えたのが「生き生き・さわやか路線」である。

ここに活路を求めるべく私は、自分の舞の道を切り開いてきた。しかし、その「生き生き・さわやか感」の構築がどうも、「ギャツビー的楼閣」となって来た可能性がある。

うーむ、どうしたものか。

 

うん。

最近の私は、「しかたがないものはしかたがない」という基本的な考えの基に行動している。

「兄弟の中が悪いのは仕方がない」とか、「親父に裏切り者扱いされるのも仕方がない」とか、「後片付けが苦手なのは幼稚園児の頃から変わっていないのだから仕方がない。なんか、5歳の娘も俺に似ている気がする。仕方がない」

みたいな感じで使用する。

なので、結局私は、「器用貧乏と言われても仕方がない」で、行くことにした。

まじめに稽古を重ねて、「器用」と「貧乏」のどちらが残るのかはわからない。が、どうなってもしかたがないではないか。

私は私の舞を謙虚に優雅に舞うのである。

 

「おれたちは「器用貧乏」でいくしかないな」と、懇親会で向かいに座っているイーダに言ったら、

「なんでわたしまで一緒にするのよ」と切り捨てられた。

学級委員には人の心がわからないのだ。仕方がない。

 

 

 

2月15日 「合気道当事者研究特別版をする」

2月15日
朝から、日曜日の下川正謡会新年練習会の準備。二組ずつの着物、袴、謡本などを用意する。昼には、呉服の松美屋さんが朝日ヶ丘ホテル(私の家のことです)に来られる。

芦屋ラポルテ本館に店をかまえていた松美屋さんは、ご主人の腰痛が悪化して、昨年の夏に店をたたまれた。扱っている反物は、流行に左右されない古風なものばかりで大変品がよく、短い時間ながらも我々家族は世話になった。

お知り合いの車に同乗され、杖をついて拙宅にこられた松美屋さんに、無地のお召しの誂えを注文した。これは宴席や茶事で身につける予定。

こちらから依頼した話ではあるが、本音を言うと、このような来訪に対して「やっぱり生地が気に入らないのでいりません」とは言いにくい。気に入ったものが見つかり、また、想定の範囲内で事が収まって正直ほっとした。

 

その後、18時からのイベント参加者に食べてもらうおにぎりをローソンで大量購入してから凱風館へ。

合気道の稽古終了後は、合気道当事者研究特別版を行った。ゲストは、べてるの家の向谷地宣明さん。私に宣明さんを紹介してくださった、漫画家の一ノ瀬かおるさん、池田市のグループホームむつみ庵の酒井さんも来られた。

急遽、別のご用事で神戸に来られていた、向谷地生良さん、亀井英俊さんが参加してくださった。向谷地生良さんは、精神科のソーシャルワーカーとして、浦河町にべてるの家を作った方である。

このような形で、内田樹先生と向谷地生良さんにご対面いただく機会ができるとは夢にも思っていなかった(宣明さん、一ノ瀬さんに感謝)。

向谷地生良さんが、べてるのメンバーの皆さんと一緒に始められた当事者研究は、現在、全国各地で行われ、また、「当事者研究に関する研究」も盛んに行われている。

私たちの合気道当事者研究が、当事者研究の「本家」の方々にとってどのようなものとして映るのか若干の心配もあった。

しかし、我々の地道で小さな活動の積み重ねは、私たちなりに何か大切なものを育んでいるという確信だけはあったので、いつも通りの我々のミーティングをそのまま見てもらうことにした。

 

発表者は甲南合気会の田村さんで、テーマは「身体に力が入ってしまうこと」。

合気道を始めてまだ4ヶ月という田村さんの発表に対して、参加されたみなさんから、質問や共感など、興味深い発言が沢山出た。
また最後に、内田師範と向谷地生良さんが貴重なコメントをくださった。

(内田先生は、「悩みと問題」について。向谷地さんは、「カウンセリングと身体性の関係」について。ご自身の体験、当事者研究が生まれた経緯、そして、合気道当事者研究のご感想などをまじえて)

「どのような状況で緊張するか」という話題の時に、べてるの亀井さんが、カフェでコーヒーを運ぶときの状況を例えにして、発言された。

合気道当事者研究において、幻聴の当事者研究の第一人者である亀井さんが発言してくださったときは感慨深いものがあった。私たちのミーティングが、亀井さんに自然に発言してもらえるような場所にまで成長してきたということが嬉しかったのである。

通常の合気道当事者研究は、私が凱風館で稽古枠をいただいている水曜日の夜(気の錬磨稽古・研究会)に、隔週のペースで行っている。2012年の9月に開始して、2013年は22回ミーティングを持つことができた。今年はすでに3回行っているので、この特別版は通し番号で行くと、37回目ということになる。

ここまでこれたのも、私の思いつきで始めた試みにノリよく参加してくださった甲南合気会の仲間と、稽古を温かく見守りつつ、また、ご参加くださったときには毎回貴重なコメントをしてくださる内田先生のおかげです。どうもありがとうございます。

終了後の懇親会(さかなでいっぱいプラス)では、宣明さんから、「合気道と当事者研究のなじみの良さを感じました」というご感想をいただく。今後の継続的な交流についてのお話も出た。大変ありがたいことである。

当事者研究には全国交流会というものがあり、そちらにもよろしければぜひ、とも。

邪魔をしてしまうような気がするが、こちらもチャンスがあれば行ってみたいし、我々の活動の一端を紹介したい気持ちもある。

ポイントは、術技の向上を直接的な目標としてミーティングを行っているわけではない、ということになるだろうか。

もともと、私が合気道当事者研究を始めたのは、向谷地生良さんの「これからは、べてるの活動のあり方が、社会においてどのように生かされるのかについて考えることも大切だと思っている」という言葉に始まっている。
(私はこの言葉を医学書院のケアをひらくシリーズで読んだはずなのだが、どこに書いているのかどうしても探し出すことができない。ごめんなさい)

道場というコミュニティにおいて、「自分自身で、ともに」をキーワードとした当事者研究を行うことは何か新しいものを生み出すのではないか(人間が閉じこもりがちな、自分の殻を破る一つの方法になるのではないか)。そして、この活動は、私に多くの発想と刺激をもたらしてくださった、べてるの家と向谷地生良さんに対する、ひとつの「返事」になるのではないかと考えて、この活動をはじめた。

 

というわけで、邪魔かもしれないですけれど、都合がついたらぜひ全国交流会にも参加させていただきたいと思います。

特別版にご参加くださったみなさま、関係各位に深く感謝いたします。

 

2月14日

イイダと二人でニレを幼稚園に送った後、能の稽古。新年練習会前の最後の稽古になった。

二人で『蝉丸』の謡(シテの逆髪がイイダ。ツレの蝉丸を私)を稽古していただく。本日は加えて、『山姥』と『西王母』の地謡の稽古。

終了後は大学へ行き(御影の稽古場から車で10分ほどなのでありがたい)、4年生の学生二人に成績を配付。

朝から降り始めていた雪が、だんだん激しくなってきた。

午後は国家試験対策の授業を2コマ。30名ほどが受講。受講して欲しい学生の顔が見当たらず、心配になる。

結構ハードな内容だったが、最後までみんな頑張ってついてきてくれた。この時期になると、国家試験に向けて頭も身体も随分練り上げられてきていると感じる。

授業が終わると、雪は上がっていた。

ニレを幼稚園に迎えに行って、帰宅。今週はワンドロップの練習などがあり、寝る時間が遅くなったためか、帰りの車内でニレは寝てしまった。

幼稚園児と両親二人の生活は何かと慌ただしく、もう少し子供にゆったりとした生活をさせてやりたいのだが、なかなか難しい。

春からはイイダの仕事場が名古屋に代わり、我が家の生活スタイルも新たなフェイズを迎える。自分自身共働きの家庭に育った経験から、子供には安心した気持ちで過ごしてもらいたいという気持ちが強い。

子供はいずれ巣立っていくものだから、この先ずっとと言うわけではないだろうが、まだしばらくは手がかかりそうである。手がかかりそうというよりも、一緒にいる必要がある。

と、言うように核家族というのは、構成メンバーが少ない分、親子の関係について意識する機会が非常に多くなる。

自然、構成メンバー同士の関係が近くなりすぎたり、強固なパワーバランスが設定されてしまったりということは、起こりやすくなるだろう。

社会活動において、家族以外の人と沢山会っていたら親子の関係が適切に保たれるかというと、おそらくそれでは不十分であり、家庭生活の「風通し」を良くしておくということを大切にしなければならないと思っている。

言うのは簡単だが、なかなか難しいところもある。まあ、背伸びせず、つかず離れず、生活を楽しんでいくと言うことなのだろうか。

我々夫婦は、自分たちの加齢、それぞれの親の加齢と、いよいよこれから向き合うことになる。できることをしていくしかない。

世の中には,シングルマザー、シングルファーザーとして子育てをしている人は沢山いる。本当に大変だと思う。さらに、自分自身の病気や、介護が必要な親を持ちながら子育てをしている人もいる。本人の健康はある程度保たれていても、パートナーが病を持っている場合もある。

きれい事は言えない。

「あの人は自分よりも大変な状況で頑張っている。だから私ごときが文句を言ってはいけない」

というのは、あまりよくないと思っている。このような考え方は、結局自分よりも弱い人間に、しわ寄せが行く可能性がある。我慢が自分のキャパシティーを超えてしまったときに、子供に対して何か問題行動を起こしてしまったり、親子関係が共依存的になってしまう可能性がある。

「あの人は自分よりも大変な状況で頑張っている」ということを知るのは必要なことだ。その上で、自分の文句も含めて、その人それぞれの生活のリアリティを受け入れていく必要があるのではないか。

うーん、まだうまく説明できない。
ひとりひとりの文句や生活のリアリティというのは「糸」みたいなもので、この糸が、個人や家庭や共同体や社会のなかで、沢山の時間と空間の中に編み込まれていくと、縫い物はどんどん落ち着き場所を得るというか、状況になじむというか、縫い物がしっかりしてくるような気がする。

 

家に着くと、丁度イイダも大学から帰ってきたので、二人で夕食の準備をする。牡蠣フライを作って食べた。

話をしながら、『水曜どうでしょう』の「ヨーロッパリベンジ」も少し観る。

食事の途中でニレも起き出して、卵かけご飯を食べた。

羽生選手にはもちろん頑張っていただきたいが、残念ながら私には夜中にテレビを観て「夢をありがとう」と言っているような暇はない。

でも、応援はしているんだ。

 

 

 

2月13日

ニレを幼稚園に送ってから、本日も産業医。

メンタル問題で休職中の社員と面談をする。復職へ向けて動きがでてきた。
空き時間に、明日の「管理栄養士国家試験直前対策講座」の準備を進める。学生が苦手な、感染症を扱うことにした。

このテーマを取り上げるかどうかは非常に迷うところがある。というのも、学生は苦手としており、また、一人で勉強しにくい分野なので、授業をすること自体には意味があると思うのだが、出題される問題数が少ないのである。

しかし、近年の国家試験出題傾向から考えると、感染症関連の問題は、絶対に1問は出る。わたしとしては、絶対に出ると分かっている問題についてロスしてもらうわけにはいかない。国家試験は選抜試験ではなく、正答率約60%をラインとしてそれ以上の成績を取っていれば合格できる。また、不合格者はおおむね1,2点に泣くのである。

私としては、この感染症を絶対的な「安全牌」として確保しておいて欲しいのである。出題される内容はそれなりに限られているので、不可能なことではない。

勉強する時期としても、本番まで一ヶ月と少しとなった今頃が丁度いいと思う。本番が近づきすぎては、勉強する分量の多さと、対価の少なさ(実はそんなことないのだが。感染症に関する知識は、人体以外の公衆衛生的な試験科目でも必要とされるのである)の前に嫌気がさして、「感染症は棄てよう」ということになりかねない。

では、一緒に頑張りましょう。

産業医の後は大学へ行き、本年度最後の教務委員会に出席。

終了後、イーダ、ニレと合流して御影の「四川」で腹ごしらえをしてからワンドロップの練習へ。

 

 

 

 

 

2月12日

幼稚園へニレを送った後、帰宅してライブへ向けた練習。

ワンドロップの次回の出演は、フォトグラファー宗石さんのウェディングパーティー。本番が迫っており、さらに追い込みをかけていかねばならない。

昼からは大阪で産業医の仕事。時々カウンセリング的なことや、受診についてのアドバイスをしている社員の方から、バレンタインデーのチョコレートをいただいた。ご主人の急逝をきっかけに心身のバランスを崩してしまった人なのだが、冬になると調子が悪くなりがちである。一緒に春が来るのを待っている。

夜は、毎週水曜日に凱風館で行っている気の錬磨稽古・研究会。

本日は隔週で行っている合気道当事者研究がある日で、発表は小林君がしてくれた。テーマは「腕の取り方、とらせ方」。

「腕を強く握られると、びっくりしてしまう」(カノさん)

「個人名を出すとあれなんですけれど、あの人と稽古するとこういう感覚があっておもしろい」

「私も、個人名を出すのはあれなんですけれど…」

「私も、あれなんですけど…」

「自分よりも身体の小さい人が相手だと、うまく動くことができない気がします」

「道場は実験室で、稽古場の外が本番という話を聞いたことがあるんですけれど…私は稽古場で腕を強く握られると、まだ合気道を始めて日が浅いですのでどうすることもできないんです。なので、「もうちょっと優しくつかんでいただけませんか」と相手の方にお願いすることにしています」(タムラさん)

などというような、様々な肉声が発せられた。

腕を強くつかむ人に対して、「優しく腕をとるようにしてください」とお願いすることによって、自分の腕の掴まれ方が弱くなる、ということは、最終的には自分の目的はある意味達せられているわけで、これは道場外の「本番」においては非常に有効な手段であり、すなわち、タムラさんはとてもいい「稽古」をされていると言うことなのではないか。

というような珍説(なのだろうか)を話してみる。

稽古には、早稲田大学合気道会の方が3名参加してくださった。

終了後帰宅し、夕食。

何も食べるものがなかったので、ハムエッグを焼いてウスターソースをかけて、ご飯にのせて食べた。

インフルエンザからは回復したが、頭痛と咳がまだ続いている。
ビール小瓶一本と、ワイン1.5杯にとどめた。

 

(プロフィールの写真は、宗石さんが撮影してくださったものです)