「日記など」カテゴリーアーカイブ

3月23日

春合宿最終日。

稽古中にTさんが腰を強く打たれたので、病院へつきそう。

公立豊岡病院は、ドクターヘリと救急車がひっきりなしに入ってくる大変忙しい病院だった。

医師になって一年目、岩手県北部の県立福岡病院(現在の二戸病院)に勤務していた頃のことを思い出した。

あのときの私は、だれにも聞こえないほど小さな救急車のサイレンの音を聞きとることができた。

新米内科医だった私は、救急車のサイレンが鳴ると、その20分後くらいに呼び出される。毎回ではないのだが、7,8割の確率で呼び出されていたと思う。

救急車のサイレンが聞こえると、今は使われなくなってしまったポケットベルが、ズボンのポケットの中でピーピーと鳴くのである。

ポケットベルの「ファントムバイブレーション」にも日常的に悩まされていた。

病院で働く人の苦労に思いを馳せると共に、無駄に単純に歳を重ねた一人の四十男として、病院を訪れる人の苦しみにもまた近しさを感じはじめている。

Tさんの腰は、幸い骨には異常がなかった。私は神鍋高原の宿へ戻ったが、Tさんの二人のお友達が、さらに付き添ってくださった。

神鍋から滋賀まで帰るカサイさんが、病院から京都まで帰るTさんと、二人の付添の方を送ってくださった。

「通り道なんで」

いざというときに頼りになる江戸っ子である。

3月22日 平野啓一郎『空白を満たしなさい』を読む。

多田塾甲南合気会の春合宿に二日目から参加。

行きの電車で、『空白を満たしなさい』(平野啓一郎)を読む。

分人という概念•方便を採用することで、行きづらさが解消される人がいるのならば、それはそれで良いことなのだろう。

ただ、あらゆる「薬」には、使用することによる副作用(目的以外の効果)がある。

「お肉が食べたいときの私」と、「刺身が食べたいときの私」を別な人間として考えるということは、それほど難しくないことだ。

しかし、問題とは往々にして、「肉も魚も両方食べたい」というときに起こるものである。

こう言うときに、「とんかつ的な自分」と「何が何でも平目の刺身派の自分」に分割し、それを戦わせるというのはあまりにも寂しい。

無益な争いである。

というか、「戦い」とはこのような形で常に無益だ。

「とんかつも平目の刺身も両方食べたい私」を、「あら、こまったちゃんね」とやさしく包み込み、ときにはその希望を叶え、ときにははぐらかすテクニックこそが私には大切なように思われる。

べてるの家では、この「こまったちゃんとの対話」のことを「「幻聴」から「幻聴さんへ」」という一言で表現している。

分人と言う概念は、個人の中の様々な側面を空間的に配置、並列することに近い。おそらくそれだけではないのだが、そのような考えに結びつきやすくて、それがある種の「戦い」を引き起こしがちではないか。

個人のなかでの様々な側面というのは、すべてを空間的に分けることができない。それは、無いときはないし、出てくるときは出てくる。幻聴と一緒である。

「分人」的な考え方は、物事を整理して考える上で非常に有用だ。しかし、いらない争いを起こしがちでもある。

そのことを20年も前に安達祐実は「分人するなら金をくれ」という捨て台詞で表現した。(嘘)

「分人」から「分人さんへ」

という発想を、ぜひ分人派の方々には、頭の片隅においていただきたいものである。

あなたと私の「困ったちゃんとの対話」が、今日も健やかであることを祈っています。

 

 

3月20日

雨である。

ニレを幼稚園に送る。今日が修了式で、年中組最後の日となった。担任のいのうえ先生が退職されるので、今日でお別れである。昨年の4月から1年間、本当にお世話になった。さらなるご活躍を祈念いたします。

3月いっぱいで幼稚園が変わることになったHちゃんとも今日でお別れ。「卒園」に際して、白いブラウスと紺色のジャンパースカートというきちんとした格好で来ていた。普段着の子供達に囲まれてイノセントに遊んでいるHちゃんの姿をみて、涙が出そうになる。

山上の大学へ行き、こちらは卒業式。
事務仕事に追われてしまい、開式間際に慌てて着替えていると、担任している卒業生達が記念撮影のために研究室に来てくれた。

皆さん、ご卒業おめでとうございます。元気に頑張ってください。いつでも遊びに来てね。

終了後は、専攻の会議と新年度の打ち合わせ。

ニレを迎えに行ってから、砂田くんのお家へ行き、さきちゃんとあーちゃんに、パソコンをお渡しする。

一日中動き回っていて、今日も昼ご飯が食べられなかった。

帰宅すると、謝恩会が終わったイーダがすでに朝日ヶ丘ホテルに戻っていた。
3人で夕食。ソーセージ、ニシンのスモーク(イワモト君がくださった)、アスパラガス(好きなのだが、高いので普段はあまり買わない)、ブロッコリー、ごはん、焼き海苔など。

 

 

 

 

3月19日

ニレを幼稚園へ送りに行く。本日は卒園式。

神戸から大阪へ移動して産業医。

面談をいくつか行った。あとは、来週の新入社員への健康についての講話の準備など。

終了後は日本橋の国立文楽劇場へ行き、予約していた文楽のチケットを購入。文楽をみるのは初めてである。一人で行くことにした。

帰宅して、松美屋さんに誂えをお願いしていた着物を受け取る。その後、夕方5時近くなってようやく昼食(カレーライス)。

外付けHDDのフォーマットをしている途中で、どういうわけかMacに入っているiTunesのデータ(ムービー含めて100G以上あった)を消去してしまった。

泣きそうになりながら、砂田君にメールをさせていただく。

夜は、凱風館で合気道の稽古。

 

 

3月18日 あんゆりすお店 繁盛記(夜明け前)

幼稚園にニレを送ってから大学へ。

春休みなのだが、珍しく予定がない日だった。管理栄養士国家試験を直前に控えた4年生のために、午前中は質問受付の時間にする。

大学の研究室で待っていたが、訪ねてきたのは別件の相談できた専攻長のM先生だけだった。

ちょっと心配になるが、ここまで来たら、体調管理に気をつけて普段通りの力を発揮してもらいたい。今年の4年生は、全体としてかなりよい仕上がりを見せているので、期待している。

 

普段は幼稚園で延長保育を頼んでいるのだが、本日はあるプロジェクトの準備をするため、正午に幼稚園へニレを迎えにいく。

今年の夏、朝日ヶ丘ホテルでは期間限定のアイスクリーム屋を開くことになっている。昨年末の時点で店名もすでに決まっている。「あんゆりすおみせ」である。

「あんゆりす」とは青い羽根の鳥で、インカ帝国の王子の紋章である(嘘)。

正月に、イーダと私が、それぞれ30品目ずつのメニュー案を提示し、最終的にスタート時のアイスは「バニラ」「チョコ」「ストロベリー」の3点になった(30品目も考える必要があったのか?という質問に対しては、「あった」としか答えようがない)。

屋台形式の店を考えており、出店場所としては、芦屋いかりスーパーの隣でゲリラ的に店を開くとか、近所の小児科の前で泣きながら出てくる子供を狙い撃ちするなどのプランがあったが、最終的には自宅前で行うことにした。

この場所は、朝日ヶ丘プールから家に帰る子供たちが通る道になっており、マンションに居住する小学生たちを一網打尽にできる可能性がある。

「イチオシメニューは何にするのか?」

という私に対して店長(娘)は、

「トッピングアイス」

という意味不明の返答を繰り返している。

このままではラチがあかないので、3月18日に、第一回のアイス試作を行うことにした。

牛乳、生クリーム、卵黄、グラニュー糖、バニラビーンズをそろえ、300mlというミニスケールで試食品を作成。

ホイップが足りず、舌触りが今ひとつだったが(シャリシャリ感が残った)、味自体はまずまずだった。

プール帰りの子供たちが「うっとり」できるようなアイスをつくるため、さらに改良を進めなければならない。

絶品アイス作成のため、よろしければお知恵をお貸しください。トッピングのアイディアも嬉しいです。
採用させていただいた方には、「あんゆりすおみせ」のギフト券を進呈いたします。

st[atmark]hotel-asahigaoka.com

atmarkは@です。

 

3月17日

幼稚園送りのあと、能の稽古。

ウエハラさんの「吉野天人」の装束付けのお手伝いをする。

その後、産業医。空いている時間で、「大川君」の続きを書く。

幼稚園へ迎えに行き、スーパーで買い物。

プレッツェル(←ローマ字入力では入れることができなかった。ATOKに助けられた。)を売っていた。

2011年まで毎年参加していたアメリカ血液学会では、ポスターセッションの会場で、ビールやプレッツェル、簡単なオードブルなどが並んでいた。粗目の塩がトッピングしてあるプレッツェルに大量のマスタードを塗って食べるのを、私は楽しみにしていた。

特別うまいと言うわけでは無いのだけれど、何となくそれが毎年の習慣だったのである。

芦屋の軟弱系スーパーで、子供の顔くらいの大きさがあるハート型のプレッツェルが1個267円。迷ったが、一個だけ購入。なぜか肉売り場で、こちらに合わせるのに丁度良いマスタードの瓶詰めを安売りしていたので(298円)、これも購入。

スモークサーモン、豚肉の味噌漬け、空豆、ご飯、おまけにプレッツェルという夕食。

風呂に入るところで、ゼミ旅行からイイダが帰宅。

酒は、夕食時にビールと日本酒を少し。

今度の日曜日に行われる管理栄養士国家試験について、ある業者から解答速報作成の依頼を受けた。合気道の行事と重なるが、対応しなければならないだろう。

3月16日

残務整理と、調べ物の一日。

天気が良かったので、外出から戻ったイーダとニレと、庭で遅めの昼食をとる。外で少しだけ本も読んだ。

酒は飲まなかった。

3月15日 イワモトウエディングに出席する。

イワモト君の結婚式と披露宴に出席。

我が家は3人でお招きいただいた。

合気道の仲間であり、また、医師の同業者であることから祝辞を述べさせていただいた。

人の手助けをする場所を与えられるというのは、その場所を与えられた人間の方が、実は助けられている。育てられている。

人を育てるのは時間がかかる。そして、身体を使う必要がある。

自分の身体を差し出して手助けをしてもらうということは、人を育てることにつながっている。

イワモト君は、そのような形で育まれ、現在のようなたくましい男性になる道筋をつけてもらった。

もともと人をサポートする卓越した能力を持ったイワモト君は、医師として非常に高い資質を持っている。

これからは、その能力を生かすことに加えて、結婚生活や仕事において、「頼る」ということを通じて、人との関係を深めたり、人を育んだりしていっていただきたい。

僭越ながら、そのような話をした。

もちろんイワモト君を祝福する言葉だったのだけれど、彼と一緒に感謝を言葉にしたような気持ちであった。

乾杯は、新城先生。

タカオさん、ツネタさん、イシダさんが、新郎新婦のために合気道の演武をしてくださった。

祝宴のクライマックスは、イワモトファーザーのギター弾き語り。
斉藤和義という選曲で意表を突くのと同時に、ささやくような歌声で聴衆の心を鷲掴みにしていた。

帰りの車中、ラテンバンドでボーカルを担当しているイイダは、「イワモト君のお父さんに歌心を教えてもらった」と言っていた。

イワモト君が何かと大変だった時代を、「道場における兄、姉」としてサポートしてきたタニグチさんとタニオさん、そして誰よりも、内田師範に彼の立派な姿をお見せしたかった。

ご多幸をお祈りします。

 

 

3月14日 いつも謝ってばかり。

午前中は大阪で産業医。

机に座って、おもむろに仕事を始めようとすると後ろからため息が聞こえてきた。

くるっと椅子を180度回転させて、看護師さんに「どうしたんですか?」と尋ねる。

普段の考えを聞いて、意見を共有する。

同じ職位、ほぼ同じような経験を重ねて来た人が複数いるときに、特定の人に仕事や責任が集まってしまうということがある。

頼りにしているとうことを伝えつつ、「適切な範囲で仕事と責任を分散させていきましょう」という話をする。

「ちょっとすっきりしました」

と言われて安堵する。

その後仕事に戻ると、「先生これ、少し手伝ってもらえませんか」

と、話しかけられた。

前段の話の流れから当然断ることは出来ず、看護師さんに持ちかけられた仕事の渦に巻き込まれて行く。

なかなかのやり手である。

 

産業医の後は、神戸へ。途中で讃岐うどんをF1レースの給油並みのスピードでかきこむ。

大学で入試関連の業務、学生面談(1年生と4年生)など。合間に図書館へ行き、調べ物もすませた。

夕方ニレを迎えに行ってから、夕食の買い物。

本日は、かにあんかけ卵豆腐(私の得意料理になりつつある)、新子ポン酢あえ、トマト、ポテトサラダなど。

お願いしていた海苔が、家島の中村さんから届いた。購入した海苔以外の心遣いが嬉しい。

さっそくイカナゴの釘煮をいただく。

ビールと日本酒を飲む。

風呂に入っているうちに、「送別会祭りザ・ファイナル」のイイダが帰ってきた。

着替えている途中で、退職金関係の書類を見せられる。

お金のことは考えるのがとても苦手なので、勘弁してもらう。

「がんばったんだね」とか「お疲れ様」とか、言ってあげられたらよかったのかもしれない。

すまない。

健闘と健康を祈っている(直接言えよ)。