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2月25日

朝9時からの安全衛生委員会に出席するため、産業医先へ出勤(朝早いので、ニレの送りはイーダに頼んだ)。

しかし、着いてみると会議は延期になっていた。

午後からは、昨年、後厄のお祓いをしていただいた門戸厄神にお札を返しに行く。

夕食は今日もニレと二人だった。妻は異動を控えて何かと忙しそうである。

 

 

 

 

2月24日

朝、ニレを幼稚園に送る。

いつものごとく慌ただしい朝だったのだが、出かける前、何を思ったのかいきなり玄関先で絵本を読み出し、母親とケンカしていた。

母親に怒られるのも仕方が無いかなあと思いつつも、少し起きるのが遅くなったのは前の夜に親の都合で夜更かししたためである。
子供は生活全体が親のペースに巻き込まれているわけで、それは仕方が無いことなのかもしれないのだが、やはり可哀想だなあとも思ったりもする。

泣いている子供を後部座席に乗せて家を出たのだが、そのうちに絵本の続きを読み始めて静かになった。幼稚園の玄関で送り出すときにはすっかり機嫌が良くなっていた。

大学へ行き、国試対策の授業を2コマ。

その後、学生と面談。
急遽必要になった文書作成&提出を行い、さらに大学関係の事務仕事を行う。

昼ご飯もろくに食べられないまま、六甲のいかりスーパーでおにぎり2個を買い、ニレを迎えに行く。

再び大学に戻って、おにぎりを食べてから松蔭の合気道稽古。

本日は参加者が少なかったので、甲南合気会のヨネザワさんと昇段審査に向けた稽古をする。途中から大学のカスヤさんが加わって、体術の稽古を続けた。

終了後、カスヤさんをJRの駅まで送った後、帰宅してニレと夕食。
妻は送別会なのか、外で食事に出かけている。

二人で風呂に入って就寝。
子供手作りのオセロをベッドに広げてやっているうちに、イーダが帰ってきた。

夜中に目が覚めたので、コラムを修正、更新。直しているうちに朝になってしまった。

2月23日

本町のセントレジスホテルで行われた、尾崎くん宗石さんの結婚パーティーに出席。

いい会でした。おめでとうございます。

2月22日

日中は、

イイダが卒業生を朝日ヶ丘ホテルに招くというので、その手伝い。

ニレの習い事の送り迎え。

明日に迫ったオザキくんムネイシさんウエディングでの演奏練習など。

夜は、合気道部の新幹部二人と、芦屋駅前のイタリア料理店で新年度の打ち合わせ。

コラムの続きも公開。

2月21日 送別会を風邪でドタキャンする。ごめんなさい。

午前中は産業医。久しぶりに電車で移動。

出勤時間が早かったので、幼稚園の送りはイイダに頼んだ。

午後は大学に行き、外部業者との打ち合わせ。

夜は送別会に参加の予定だったが、夕方から頭痛と鼻水が極端にひどくなり、やむなく欠席。

ニレを迎えに行って、電車で帰宅した。

うちに帰ると家具屋さんが来ていて、居間の寸法を測っている。本棚を作るらしい。
妻の転勤に伴い、朝日ヶ丘ホテルは図書館化するようである。

 

2月20日 風邪がなかなかよくなりません。

午前中は大学で、2ー4年生のボランティアの学生諸姉と新入生歓迎会の打ち合わせ。

昼は下山し幼稚園へ。用事を済ませてから、イイダと昼食(二日連続で同じ中華食堂)。

午後は再び山の上の大学に戻り、学生部主催の研修会。学生相談室のカウンセラーを長年勤めている他学の先生の講演。

教授会に出席後、所属している専攻の会議。
会議の途中から、鼻水と頭痛に苛まれる。長時間にわたる会議だったが、来年のスケジュールや役割分担など、いろいろなことが決まった。

19時30分に大学を出て、今度はワンドロップの練習。
メンバーであるドストエフ川上牧師が異動されるので、東神戸協会でリハをするのもあと1,2回となった。

21時30分過ぎに家に帰って夕食。
MCCのキーマカレー、ビール小瓶一本と温めた酒を一合。あとは、たらこを少し。

テレビをつけて、浅田真央さんのショートプログラムが不本意な結果だったと聞いて、胸を痛める。

 

 

 

2月19日 

ニレを幼稚園に送った後大学へ。

来年度、学外から本学の授業サポートをお願いしているA先生とS先生の面接に同席する。

健康スポーツ科学関連のコマで合気道を用いた授業を行うことを依頼され、前後期で一コマずつ行うことになった。
お二人の先生には、こちらの授業をお手伝い頂くことになっている。

K部長との和やかな面接を終えてから、三人で中華料理を食べる。
仕事や、ジョブハンティング、フットサルのことなどについてお話を聞いた。

午後からは、産業医。
メンタル問題で休職していた社員の復職面談、長時間残業者との面談など。

その後は一旦帰宅してから凱風館へ行き、夜稽古(気の錬磨稽古•研究会)を行う。普段はこの時間にはあまり来られない方が参加されていた。

公共放送にお勤めなのだが、

「オリンピックのおかげでちょっと時間ができたんです」

とのこと。
五輪のおかげで充実した稽古になった。

インフルエンザからようやく回復した中学生のSちゃんも来ていた。

稽古後はジョギング帰りの新城先生と研究打ち合わせ(@さかなでいっぱい)。
新城先生とは、がんと食事に関する研究プロジェクトを進めている。

質問紙調査に基づく研究なのだが、送付したアンケートが少しずつ事務局に戻ってきており、その状況などを報告する。

 

新城先生から合気道当事者研究についての質問を受け、いくつかお答えする。

合気道当事者研究には、数少ない約束事がある。

一つは、誰かの発言内容を否定しないということである。

しかし、実はこの約束事も私の中で勝手に決めているだけで、参加している方に話したことはほとんどない。

もう一つ上げるとするならば、ミーティングのテーマについての直接的な答えを求めない、ということがある。

これらのことを忠実に守るとどうなるか。

簡単である。

何をやっているのかわからなくなることがよくある。

以上。

でも、それでいいのだと思う。

このことについては、いずれまた。

 

合気道当事者研究に参加された方は、色んな感想をいってくださる。

「ミーティングの後の稽古の感覚が、いつもの稽古と少し違う」

「他の人が、自分とは全然違うことを考えていることがわかってびっくりした」

「この発表が一体どこに、収まるのだろうと思ってハラハラした」

「今日のテーマは、まさに自分が悩んでいたことだった」

 

 

2月18日 子供の演劇をみて、不覚にも涙する。

凱風館で朝の代稽古を行う。20名ほどが参加。

朝の代稽古を担当するときは、参加するみなさんが一日を清々しく過ごせるような稽古にしたいと考えている。

終了後はニレの幼稚園に向かい、「生活発表会」を観覧。同じクラスの保護者の皆さんと一緒に最前列に陣取り、子供たちの演劇を観た。横に並んでいるお母さんの涙に、思わずもらい泣きする(恥ずかしい…)。

昼に、東京に住む伯父から電話があった。昭和一桁生まれの伯父は今でも現役の泌尿器科医である。処方薬についての相談だった。このような電話を伯父から受けるのは初めてだった。血液内科医というのは、消化器や循環器の医者に比べるととても少ないので、相談事があるときに困るのだろう。

昼に幼稚園が終了したニレを連れてインドカレーを食べてから帰宅。その後は自宅で大学関連の仕事。
夕食は、昼に摂取した大量のナンの影響で、ほとんど食べることができなかった。

 

2月17日

幼稚園にニレを送ってから、大学で国試対策関連の授業を一コマ。

午後からは本日も産業医。面談が数名。

終了後、卵と麻婆豆腐の材料などを購入して帰宅する。

イーダ母が名古屋方面から朝日ヶ丘ホテルに来て、4人で夕食。麻婆豆腐をすすりながら、菊正宗を少しすする。翌日は凱風館の代稽古担当なので、酒は控えめにした。

リビングルームが寒いので、ガスのラインを引いてガスファンヒーターを設置することをイイダが計画しているらしい。

 

「M君へ語る私的身体論」③ 合気道家と愛猫家

合気道は試合形式を取らないので、通常のスポーツや競技武道では勝負関連のことに使用する脳の情報処理能力を、勝負以外のことに回すことができます。人間が意識の上で情報を処理できる能力には限界があるということは科学的に説明がなされていて、中枢神経系が情報を処理できる能力は、最大1秒間に126ビットだそうです。

 そして、他者が何を話しているか理解するには、毎秒40ビットの情報を処理しなければならない。このことは、「意識上の情報処理には明らかな限界がある」ということを示しています。

勝負の結果や、勝負にまつわる駆け引きについて考える必要が無い合気道は、その分、身体運用と身体を介したコミュニケーションに集中できるという特長をもっているわけです。

まあ、対立的な構図というのは必ずしもはっきりとした「勝負」「ゲーム」という形をとらないこともままあるわけですが。
何を言いたいかというと、合気道が試合という形式をとらないとしても、それを対立的な構図で行うということは、ありがちだということです。

しかし、ここではそのような話をしたいわけではありません。やはり合気道の大きな特徴は試合形式をとらないことであり、ここでは、そこから得られるものという話を進めたいと思います。

 合気道の稽古中、稽古相手から受け取る情報入力のほとんどは非言語的なものです。そして、それが個人の中で部分的に言語に変換されます。例えば、合気道の身体接触を通じて、「この人、真面目な人だなあ」とか、「いま、疲れてるんだな」とか「見栄っりだな」とか、「お母さんみたいな人だなあ(男なのに)」とか、このような形で非言語的な情報が言葉に変わっていく。

一方、それがあまり上手くいかない時には、言葉になりきらない体感が「宿題」あるいは、「無形文化財」みたいな感じで体に残る。

 私は、合気道の稽古は、決まった体感や状態を得るためにするものではないと思っています。特定の体感を求めて動くというのは執着的な稽古になりやすく、武道ではそのような状態をあまり良しとしないようです。

 それでは、「何か」を求めるわけではない形で合気道の稽古をすると、結果として何が起こるかというと、身の回りの状態の「認識システム」が活性化する、敏感になる、冴える、ということが起こる。

保阪和志が猫と関わることでしか得ることのできない経験や、認識を持つのと同じように、私は合気道の稽古をすることで、自分の周りの世界の認識システムが変化するのを感じているのです。

 そして、そのような特有の感覚を持つ状況は、少しずつですが稽古中だけでは留まらなくなってきていて、稽古以外の時間でも、同門の仲間との人間関係がそのような認識システムのもとで築かれるようになってくる。

そしてそのうちに、その固有の認識システムは、合気道以外の場所でも使われるようになってくる。きっと、愛猫家もそうなんでしょう。最初は「猫を愛する」という振る舞いは、その人と猫の間でだけの関係に限定されていたのが、次第に愛猫家として社会全体を認識するようになってくる。このようなタイプの人間はもしかすると珍しいのかもしれませんが、少なくともそのような形で世の中を見ることは、その人の中に固有の時間と空間が立ち上がっていて、それは小説的なものにつながっている。

 そして、保阪和志はそのような場所を生きている。同じように私は、最初は合気道をしているときだけに限定されていた自分の認識システムの変化が、次第に合気道以外の状況にも広がってきているのを感じている。

話が戻りますが、合気道の道場の人間関係では、身体接触を介した他者理解というのが、社会一般での人間関係の場合よりも明らかに重視されていると思います。

武道をするためにみんな集まっているわけなので当たり前といえば当たり前なのですが、前述のとおり、合気道は、勝負という形式をとらない分だけ身体感覚に敏感になりますから、身体接触を重視する傾向が強くなります。

大学生であるとか、会社員であるとか、主婦であるというような社会的肩書きも、もちろん人間関係を構築するうえでの情報としてインプットしているんですけれど、それと同じかそれ以上に、「この人は、とても受容的な合気道をする人だ」とか「この人は、わりとマッチョな技を好む人だ」とか「あわてんぼうだ」とか「なんとなくエロい」とか、「自分にしか興味が無い人だ」とか、そのようなことを身体情報としてインプットしていて、それをもとにその人と付き合ったりする。

たとえば、同じ道場に通っているハラダさんは新幹線を作る会社に勤めている女性で、現在合気道参段。物腰の柔らかい、とても礼儀正しい人ですが、いざ合気道の時に手を取り合ってみると、自分の持つ「間」(タイミングに近いものです)や流儀というものを非常に大事にしているということを強く感じる。

ハラダさんは、自分の持つ筋目を決して曲げたくないというような意志の強さがあり、「もたいまさこ的存在感」をこちらに抱かせる。こちらがタイミング悪くふざけると、いざと言うときには眉をひそめて怒られるような気がする。

 一方、イノウエさんは私と一緒に道場の運営に携わってくださっていますが、こちらも合気道参段。入門されたのは不惑を超えてからですが、とても情熱的な合気道をされる。身体は大きくないのですが、自分の身体からエネルギーを発散させることをとても大切にされている。

これまでは、エネルギーの発散の仕方を上手く見つけることができずに苦心されることも多かったのではないかと想像するのですが、ここ最近、あらたな境地を得られているように思う。

イノウエさんに対して私は、「遅れてやってきた本物」というような印象を抱いており、彼女のことを「凱風館道場のシンディー・ローパー」と密かに名付けている。

イノウエさんはいよいよ、『ハイスクールはダンステリア』から、『トゥルーカラーズ』状態に移行している(1983年に発売された『ハイスクールはダンステリア』は、現在『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン, ”Girls Just Want to Have Fun”』という、原題のカタカナ表記に変わっている)。

 道場の書生をしているユアサくんは、20代後半の男性で、もともとダンスをしていたこともあり、同場内で最も運動神経が良い人の一人である。彼は「猫ダンサー」と自称していて、自らのメールアドレスなどにその名前を使っている。合気道の技の受けをするときの受容性がとても高くて、まさに猫のように身をこなす。

彼が私の腕を取り、彼に技をかけている時には、コラット種のような短毛の猫の背中を撫でているような恍惚感を感じることがある。ユアサくんの受けには、「光」と「温かみ」をはっきりと感じる。もともと、口数が少なく、けっして社交性が高い人間では無かったが、合気道の道場で書生の仕事を続けるうちに、道場での自分なりの棲み方を見つけたように見える。ユアサくんは、こちらから近づかなくとも窓さえ開けていれば、彼にとって必要な時に、こちらに近づいてきてくれる。猫である。

私はこのように、自分が身体接触から得た情報を自分の中で言語に置き換えるようなことをしています。そしておそらく、合気道をしている人は、それぞれ少しずつやり方が異なるとしても、同じようなことをしているのではないでしょうか。M君はどうでしょうか。

 興味深いのは、合気道をする人は身体接触という非言語的コミュニケーションに基づく情報のみを重視して、会話などの言語的なコミュニケーションを軽視するかというと、そんなこともないというところです。

 合気道をする人は、自分が稽古相手と重ねた「非言語的コミュニケーションにおける感覚」と、「言語的コミュニケーションで得た感覚」が同じものなのか、つい確認したくなってしまう。

だから稽古の後も、当たり障りの無い会話をすることで、言葉によって「非言語的コミュニケーションで得た体感」の確認作業を行うことになる。私は、合気道の道場での人間関係はこのような形でつくられているように思います。