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3月17日

幼稚園送りのあと、能の稽古。

ウエハラさんの「吉野天人」の装束付けのお手伝いをする。

その後、産業医。空いている時間で、「大川君」の続きを書く。

幼稚園へ迎えに行き、スーパーで買い物。

プレッツェル(←ローマ字入力では入れることができなかった。ATOKに助けられた。)を売っていた。

2011年まで毎年参加していたアメリカ血液学会では、ポスターセッションの会場で、ビールやプレッツェル、簡単なオードブルなどが並んでいた。粗目の塩がトッピングしてあるプレッツェルに大量のマスタードを塗って食べるのを、私は楽しみにしていた。

特別うまいと言うわけでは無いのだけれど、何となくそれが毎年の習慣だったのである。

芦屋の軟弱系スーパーで、子供の顔くらいの大きさがあるハート型のプレッツェルが1個267円。迷ったが、一個だけ購入。なぜか肉売り場で、こちらに合わせるのに丁度良いマスタードの瓶詰めを安売りしていたので(298円)、これも購入。

スモークサーモン、豚肉の味噌漬け、空豆、ご飯、おまけにプレッツェルという夕食。

風呂に入るところで、ゼミ旅行からイイダが帰宅。

酒は、夕食時にビールと日本酒を少し。

今度の日曜日に行われる管理栄養士国家試験について、ある業者から解答速報作成の依頼を受けた。合気道の行事と重なるが、対応しなければならないだろう。

3月16日

残務整理と、調べ物の一日。

天気が良かったので、外出から戻ったイーダとニレと、庭で遅めの昼食をとる。外で少しだけ本も読んだ。

酒は飲まなかった。

3月15日 イワモトウエディングに出席する。

イワモト君の結婚式と披露宴に出席。

我が家は3人でお招きいただいた。

合気道の仲間であり、また、医師の同業者であることから祝辞を述べさせていただいた。

人の手助けをする場所を与えられるというのは、その場所を与えられた人間の方が、実は助けられている。育てられている。

人を育てるのは時間がかかる。そして、身体を使う必要がある。

自分の身体を差し出して手助けをしてもらうということは、人を育てることにつながっている。

イワモト君は、そのような形で育まれ、現在のようなたくましい男性になる道筋をつけてもらった。

もともと人をサポートする卓越した能力を持ったイワモト君は、医師として非常に高い資質を持っている。

これからは、その能力を生かすことに加えて、結婚生活や仕事において、「頼る」ということを通じて、人との関係を深めたり、人を育んだりしていっていただきたい。

僭越ながら、そのような話をした。

もちろんイワモト君を祝福する言葉だったのだけれど、彼と一緒に感謝を言葉にしたような気持ちであった。

乾杯は、新城先生。

タカオさん、ツネタさん、イシダさんが、新郎新婦のために合気道の演武をしてくださった。

祝宴のクライマックスは、イワモトファーザーのギター弾き語り。
斉藤和義という選曲で意表を突くのと同時に、ささやくような歌声で聴衆の心を鷲掴みにしていた。

帰りの車中、ラテンバンドでボーカルを担当しているイイダは、「イワモト君のお父さんに歌心を教えてもらった」と言っていた。

イワモト君が何かと大変だった時代を、「道場における兄、姉」としてサポートしてきたタニグチさんとタニオさん、そして誰よりも、内田師範に彼の立派な姿をお見せしたかった。

ご多幸をお祈りします。

 

 

3月14日 いつも謝ってばかり。

午前中は大阪で産業医。

机に座って、おもむろに仕事を始めようとすると後ろからため息が聞こえてきた。

くるっと椅子を180度回転させて、看護師さんに「どうしたんですか?」と尋ねる。

普段の考えを聞いて、意見を共有する。

同じ職位、ほぼ同じような経験を重ねて来た人が複数いるときに、特定の人に仕事や責任が集まってしまうということがある。

頼りにしているとうことを伝えつつ、「適切な範囲で仕事と責任を分散させていきましょう」という話をする。

「ちょっとすっきりしました」

と言われて安堵する。

その後仕事に戻ると、「先生これ、少し手伝ってもらえませんか」

と、話しかけられた。

前段の話の流れから当然断ることは出来ず、看護師さんに持ちかけられた仕事の渦に巻き込まれて行く。

なかなかのやり手である。

 

産業医の後は、神戸へ。途中で讃岐うどんをF1レースの給油並みのスピードでかきこむ。

大学で入試関連の業務、学生面談(1年生と4年生)など。合間に図書館へ行き、調べ物もすませた。

夕方ニレを迎えに行ってから、夕食の買い物。

本日は、かにあんかけ卵豆腐(私の得意料理になりつつある)、新子ポン酢あえ、トマト、ポテトサラダなど。

お願いしていた海苔が、家島の中村さんから届いた。購入した海苔以外の心遣いが嬉しい。

さっそくイカナゴの釘煮をいただく。

ビールと日本酒を飲む。

風呂に入っているうちに、「送別会祭りザ・ファイナル」のイイダが帰ってきた。

着替えている途中で、退職金関係の書類を見せられる。

お金のことは考えるのがとても苦手なので、勘弁してもらう。

「がんばったんだね」とか「お疲れ様」とか、言ってあげられたらよかったのかもしれない。

すまない。

健闘と健康を祈っている(直接言えよ)。

3月13日 四十男の負け戦について

幼稚園にニレを送ってから大学。

新年度に向けて、学生面談を数名。

その後、人間科学部の若手懇談会に出席する。人間学部長の呼びかけにより、着任して数年の教員が月に一度程度集まって、学科横断的な活動の推進を模索している。

大学の規模は随分ことなるが、同じ聖公会の大学である立教大学は、かなり充実した教育プログラムを実践しているらしい。

他学に学びつつも、神戸松蔭固有の教育を行っていきたいものである。

午後からは、大学のアクションプランに出席。少子化傾向が進む中、女子大が置かれている状況の厳しさをあらためて感じる。

イイダに大学まで迎えに来てもらい、ニレをピックアップしてから帰宅した。

夕食は鍋にした。

言いたいことを控えたり、発言に「とろみ」をつけたりすることばかりをしていた一日だったので、ストレスがたまっていたらしい。ビールと、日本酒と、ワインまで飲んでしまった。反省である。

最近は、飲酒について意識的に反省するようにしている。その一環として、飲酒関連の言及も日記に記載するようにしている。

昨晩は、ストレスがたまっていたためか(しつこい)、ワインをのみつつ、ひなあられの残りもぼりぼりと沢山かじってしまった。反省である。

 

鍋をつつきながら、イイダに「能の稽古をはじめて良かったと思う」という話をする。

仕舞や謡には、どう頑張っても年月を経ないと出てこない味がある。背伸びしてもどうすることもできない。

若い者は、自分に与えられた課題を坦々と丁寧に行うだけである。

年月を経ていくと、それに応じて重い曲を与えられるようになる。そして、そのときには、それが自分の役割と感じ、それを精一杯演じる。

いつだってふんぞり返ってはいられない。重い曲の恥ずかしい出来映えを、人のせいにすることはできない。自分に与えられた使命を意気に感じて、愉快に謙虚に、挑戦していかなければならない。

「40代の素人男の舞」などというものは、格好がつくはずがない。最初から負け戦である。しかし、どこか一点、結晶化した「何か」を表現するために、私は舞を続けるのである。

 

3月12日 ある人の死について思うことなど。そして、慶事について。

ニレを幼稚園に送ってから大学へ。

緊急の学生面談の後は、大阪で産業医。

自宅で急逝した社員(40代独居男性)があり、人事課•総務課から最近の健康状態についての問い合わせがあった。人間ドックの結果などを確認して、返答した。状況を聞くと事件性はなさそうであり、また、自死の可能性も低そうだった。

一人暮らしの部屋は物凄い荒れ様だったそうである。
現代における働き盛りの独身者のリアルな姿を、今回の突然の悲劇によって見せつけられた思いだった。

自分も独身だったら同じようなものだろう。

他のことで忙しいから掃除をしない、のではなくて、掃除をする時間を確保した上で(仕事も含めて)他のことをする、というのが健全なのだろう。現実としてはなかなかそのようには行かないわけだが、本来はそうなんだと思う。

「一人暮らしの人が亡くなった部屋が荒れている」というのは、「この世を去った後で恥をかいてしまい、故人が可哀想」ということではなくて、

自分と、自分の身の回りを大切にしきれなかった人が一人静かにこの世をさってしまった、ということに胸が痛むのだと思う。

冥福をお祈りします。

夜は凱風館で夜稽古(気の錬磨•稽古研究会)を担当。

本日は隔週で行っている合気道当事者研究の日だった。発表は藤谷さん。テーマは、「手から受信する体感を全身に伝える方法」について。稽古相手からの体感を、受け身を取りながら自分の体に伝えることの難しさについて語ってくださった。

かなり難しいテーマだと思うのだが、藤谷さんをはじめ、参加の皆さんが自分が感じていることや、大切にしていることを話してくれた。

今回はレイシャムさんも、初めて英語で発言してくれた。合気道当事者研究も国際化が進んでいる。

当事者研究初参加のイワモトドクターが、「みなさんの自分の体感を言語化する能力の高さに驚いた」と言っていた。

続けて参加している人間としてはあまり実感がないのだが、嬉しい感想だった。

稽古後は、イワモト君が新城医師と会うというので、私も合流。週末の結婚式の打ち合わせということだった。

新城医師の話から、医学生時代の過ごし方の話題になる。
新城さんは、かなりのんびり過ごしていたらしい。私もまた、低学年の頃を中心に「雨が降ったら大学へは行かない」というようなタイプの学生だった。

しかし、学士入学組のイワモト君(2013年に医学部を卒業)は、かなり真面目な学生だったようである。いわゆる「ノートを貸す側」の学生だったとのこと。

しかし、そんな彼も一回目の大学生活ではかなりのんびり過ごしていたという。

時代が変わったということもあるのかもしれないが、「結婚生活も大学生活も、2回目の方が真面目に過ごせるのではないか」という暴論を、一度も結婚していない人に対して言ってみる。

イワモト君のまわりには「他山の石」がごろごろ転がっているので、そのようなものを生かしつつ、一度目にしてハッピエストな結婚生活をおくっていただきたいものである。

彼との付き合いももう10年以上になる。なんか不思議だ。しかし、何が不思議なのかはっきりとはわからない。

しかし、それはおそらく、僕たちそれぞれが、それまでに生きてきたような生き方ではまず出会わなかった人間同士ということなのだろう。

3月11日

調べたいことがあり、早朝からウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読む。

幼稚園にニレを送ってから、大学へ。

2013年度は1年生の担任をしていたので、来年度の履修について、6名と個別面談を行う。

その後、卒業判定教授会。

神戸松蔭の教授会は、毎回聖書の朗読と礼拝から始まる。東日本大震災から3年が経過したこの日は、聖公会がこの日の為に用意した祈りを藤井チャプレンの導きのもとで捧げた。

卒業延期者リストの中に、仰天せざるをえない名前を見いだす(ぎょえー)。

所属している専攻の会議の後、学生課・教務課による新年度説明会。

 

「ぎょえー」関係のメールなどを打った後、6時ぎりぎりに幼稚園にニレを迎えに行く。

六甲のいかりスーパーで、夕食の買い物をしてから二人で食事。イーダは今日も送別会祭りである。

月曜日に酒を抜いたので、ニレと二人で酒盛りをする(もちろん、五歳児は牛乳)。

風呂に入って、子供の長い髪を乾かす。ブラシで髪をときながら、辛抱強くドライヤーで乾かしていく。

私は自分の髪をドライヤーで乾かすという習慣を持っていないので、なかなか辛い時間である。「熱い」とか「痛い」などと文句を言われながら、子供の髪にブラシをかけ、ドライヤーをあてる。

二人で氷水を飲んでから布団に入る。

今日の本は、「おばけのコックさん」(西平あかね)。

 

朝自分の仕事をして、子供を幼稚園に送って、外の仕事して、合気道と能の稽古して、子供を迎えに行って、ご飯を食べさせて、風呂に入れて寝る。

そればかりを繰り返していることを確認してみたくて日記を書き始めたが、見事にその通りだった。

幼稚園への通園も残り1年。子供も我々も、とことんやり抜かねばならない。

 

夕食後、盛岡の母に電話をした。

「あの日は、玄関の電気錠が停電で完全に動かなくなってしまい 、裏口のガラス戸を石で割って中に入った」

と言っていた。

M先生は、私が医師になって一年目のときに赴任した県立病院での上司だった。医師として必要な手技や救急外来での行動など、医師としての基本をたたき込んでくれた方である。

M先生は、県立病院を退職されたあと、生まれ故郷の陸前高田で内科の開業医をされていた。あの日、一度避難したあとで、様子をみるために避難所からクリニックにもどり、津波の第2波に飲み込まれてしまった。

私は2012年の夏に、陸前高田を訪れた。更地になってしまっていて、M先生のクリニックの正確な場所はどうしてもわからなかった。 

3月10日

朝ニレを幼稚園に送ってから大学へ。

新年度に向けた準備をいくつか行う。あとは、入試関連の仕事。

昼ご飯も食べられないまま下山し、能の稽古のため御影へ。謡は「百萬」の稽古をしていただいた。

舞は、先週土曜日の柔軟体操セミナーの効果を確かめるべく、足の使い方を意識して稽古をしてみた。

能は静かな動きのようだが、きびきびとした俊敏さが求められる場面が結構多い。とくに「高砂」は、テンポのある曲なのでスムーズな足運びが求められる。

そして、スムーズな足運びの為には全身の柔軟性が非常に重要なのである。稽古前に、先日茨木で教えてもらったふくらはぎストレッチを行ってから舞ってみた。

ふくらはぎの張りが、いつもよりも少ない気がする。足の運びに特に注意して舞ってみると、細かい点で粗がまだまだ残っていることが分かった。

下川先生からは、「勇健(ゆうけん)」の型についてお教えをいただいた。

 

終了後は、ニレを幼稚園に迎えに行った後、松蔭で合気道の稽古。ヨネザワさん、タニミズくんと一緒に、短刀取りの稽古をする。

帰宅後はニレに晩飯を作り、風呂に入れる。

酒は控えた。

 

3月9日「リアリストの夢」

朝一で散髪に行く。

8時30分に行ったのだが、すでに一人順番を待っている人がいた。スマートフォンで日記を書いているうちに自分の順番が来た。

ワードプレスのアプリをスマートフォンに入れたので、日記などをどこでも書けるようになり大変便利になった。

床屋に来るのは年末以来3ヶ月ぶり。前回と同じお兄さんが散髪してくれた。4歳の男の子のお父さんであり、話を振られるままに子育ての話をする。

家に帰って朝食を食べてから、確定申告の書類を完成させた。ついでに大学へ提出する社会保険関係の書類も書いた。

こういう面倒くさいものは、勢いがついたときに次々とこなして置くに限る。

 

昼からは、池田市の如来寺で開催された甲南麻雀連盟第3回如来寺杯に参加させていただいた。

毎年この如来寺杯を通して、人を歓待することの大切さ、心構えを、ご住職の釈徹宗先生から教えていただいている気持ちになる。

連盟のみなさんも一緒に来させていただいた子供達も、仏様と釈先生、ご家族の皆様、お手伝い下さった皆様の温かい愛に包まれて、終始にこやかな顔をしていた。

釈先生、皆様、今年もどうもありがとうございました。

成績は、唯一2連続トップを取った内田総長の二連覇だった。

私は2位4位といまいち。

今回は、山本画伯、次郎先生、川上牧師という重鎮3人が欠席だったが、あらたに「育成部」の方達が来てくれた。

 

今回は麻雀の調子が余り良くなかったのだが、調子が良く無いなりに打ちながら色々と思うことがあった。

それは、もし麻雀のゲームに勝とうとするならば、「リアリスト」として打つ必要があるということである。

麻雀には、配牌やツモといった不確定要素が多分にあるので、その不確定要素に依存するというか、未来に対して希望的観測のもとに行動を起こしてしまうということがある。

しかし、不確定要素に依存することではゲームには勝てない。

4人の「夢」はしばしば卓上でぶつかる(例えば、対面のリーチとか)。そのときに、いかにして自分の夢へのこだわりを棄てることができるか。

私は他者のリーチといったある種の苦境において、すべて逃げるべきだと言いたいわけでは無い。

リアリストとして、進むか戻るかを、(カンを含めた)自分が持つすべての情報を集めて決断する必要があるのである。

リアリストとは、夢を持たない人間のことを指すのではなく、自分の夢を、判断の一要素にまでパーツ化できる人間のことを言うのだろう。そして、パーツ化された夢は、時と場合によってはあっさりと葬られる。

所詮、夢は夢であり、それは、「実際にその場所で起こっていること」とは別の次元で存在するものなのである。夢を前提として作られた判断は、個人の中での「夢物語」にすぎない。

 

 

「夢は必ず叶う」

と言う言葉を、私はあえて否定しない。

では、夢を変えるためには一体どうすれば良いのだろうか。

それは、夢の方を変えれば良いのではないか。

夢を叶えるためには、人間の変化とともに、絶えず夢の「マイナーチェンジ」を繰り返す必要がある。

「短い夢は、棄てるに限る。大きい夢は、こちょこちょ変わる。」

ということを、麻雀を通して愚考した次第である。

 

 

 

 

 

3月8日 「和合亮一さんと再会する」

凱風館で、合気道の稽古。

その後、来年度の授業(全学共通科目の合気道)に生かすための柔軟運動講座を受講する。

授業を安全に実施するために、柔軟運動を十分に取り入れたいと考えている。

阪大を離れて以来、久しぶりにJR茨木駅に降りた。

終了後、十分な手応えを感じつつ、帰りの電車に乗る。

そのまま元町まで行き、和合亮一さんが出演される復興支援コンサートを観に行った。

会場には、イーダとニレも先に到着しており、ともに和合さんの朗読や、合唱を聴く。

和合さんの朗読を聴いて、二年前の神戸女学院大での講演会を思い出した。

東日本大震災の語り部的活動を続けて来られた和合さんの朗読には、熱意とともに、やはり洗練としか表現できないような芸術性があると感じた。

しかし、この「洗練」は非常にユニークなものである。

和合さんの活動の芸術的側面を軽視する批判は震災後継続してあるが、私は和合さんの表現には、(震災ということを超えて)時代に要請された大きな意義があると思っている。

それは、ドキュメンタリー性と芸術の融合だったり、効率や合理性が、他を説得するものとして最優先される現代社会において忘れられがちな、「率直さ」、「自然さ」、「拙さ」ということである。

和合さんの表現の洗練には、一見その言葉とは相容れないような「自然であること」、「拙いこと」があふれているのである。

拙さを洗練させていくということは、拙さが無くなるということとは違うのである。

そのようなことを、3月1日に発売された「東日本大震災と私たち」という和合さんとの共著に書きました。

読んでいただけたら幸いです。

http://www.amazon.co.jp/東日本大震災と私たち―和合亮一講演会「わたしを生きる、あなたを生きる。」-和合-亮一/dp/4925220349/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394328646&sr=1-1

コンサート終了後、短時間だったが、和合さんと色々な話をすることができた。

いつか再び神戸にお招きして、詩のワークショップができたらと思っています。