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3月26日

朝から産業医。安全衛生委員会に出席する。

午後は久しぶりに阪大へ行って、預けていたサンプルの整理をする。

幼稚園に迎えにいくために吹田インターチェンジから名神に乗ろうとするが、考え事をしていた為か誤って近畿道に乗ってしまった。

高速道路というのは一旦のってしまうと、後戻りできないのが辛い。仕方が無いので守口ジャンクション(昔はなかったと思うのだが)から、阪神高速にのって神戸に向かう。

朝から雨模様で、高速道路は至る所で事故渋滞を起こしていた。年度末でみんな気ぜわしいのだろうか。

ニレをうちに送ってから、夜は凱風館で夜稽古。

今週は当事者研究。発表はマツバラくん。

ある合気道の動きにおいて、腕と脚の動きがばらばらになってしまうということがテーマだった。

大変興味深い内容でした。

 

 

3月25日

新2年生から4年生までの在学生ガイダンス。

キャリア教育センターの所員として、キャリア関連のアナウンスをする。

昼休みは学生面談を2つ。

午後からは新入生オリエンテーションの打ち合わせ。

新4年生を中心とした在学生が、新入生を迎える準備をしてくれている。

3月24日 ディズニーアニメを観ると不機嫌になる私(アナと雪の女王を観る)。

幼稚園へニレを送ってから大学へ。

雑務、国家試験の解答速報作成を行ってから食堂で昼食。

その後、コラムの9回目の続きを書く。前期の授業開始までにどこまで書けるだろうか。

夕暮れ前にニレを迎えに行き、HAT神戸に映画を観にいく。アナと雪の女王。

私はとっても繊細な人間なので、ディズニー映画を観ると心がささくれ立ち、不機嫌になってしまう。ディズニーランドは同じ理由から立ち入ることができないし、IKEAも苦手だ。ポートアイランドのIKEAに一度だけ行った時には発狂しかけた。

映画を観た後で不機嫌になったのは、単なるポップコーンの食べ過ぎのせいではあるまい。

アナはキュートなヒロインだった。
製作者がキャラクターの作り込みにおいて、細かい仕草のリアリティを追求した結果、人間関係の構築にかなり大きなエネルギーを割く若者が出来上がったという「アウトプット」に興味を抱く。洋の東西を問わず、それが現代の若者に求められている振る舞いということなのだろう。

現代のディズニーアニメでは、ヒロインを二人立てないと(アナと、姉であり雪の女王であるエルサ)物語をスムーズに進行させることができないという点も面白く感じた。

生まれながらにして、自らはコントロールできない魔術を持ち、それによって人を遠ざけざるを得ないエルサは、「あなたを傷つけたくないから、私に近づかないで」という言葉を繰り返している。また、彼女は自らが王位を継承しなければならないという運命にも悩ませられている(内向的な姉)。

一方、妹のアナは外交的な性格だが、小さい頃は仲の良かった姉から遠ざけられ続けていることから、他人の愛に飢える人間になってしまった。彼女の社交性は、人に愛情を求める心の裏返しである。

内向性と外向性がクロスするヒロインたちは、「二人」の設定になっているからある程度ストーリーについていくことができるけれど、物語の構造としてはこれは、「二人で一人」の人間のことであり、実際の社会においても、このような二つのクロスする性格傾向が一人の人間において表出することから、様々な問題がおこるのではないか。

物語の流れも、ヒーローとのラブロマンスはメインストリームにはなっておらず、別人格として性質を分け合っている二人のヒロインが融和することで、一つの落ち着きどころを得ると言う、乙女の成長物語的性格が強い。

二人のぶつかり合いがもう少ししっかりと描かれていれば、観る方もすっきりするのだが、二人は中途半端に仲が良くて、この辺りに物語としての弱さ、物足りなさをどうしても感じ、ついついポップコーンに手が伸びることになるのである。

帰りに芦屋駅で、東京出張から戻ったイーダをピックアップして、自宅で夕食(簡単ポトフ、ポテトサラダ、新子ポン酢、ごはん)。

月曜日なので、酒は控えた(キッパリ)。

3月23日

春合宿最終日。

稽古中にTさんが腰を強く打たれたので、病院へつきそう。

公立豊岡病院は、ドクターヘリと救急車がひっきりなしに入ってくる大変忙しい病院だった。

医師になって一年目、岩手県北部の県立福岡病院(現在の二戸病院)に勤務していた頃のことを思い出した。

あのときの私は、だれにも聞こえないほど小さな救急車のサイレンの音を聞きとることができた。

新米内科医だった私は、救急車のサイレンが鳴ると、その20分後くらいに呼び出される。毎回ではないのだが、7,8割の確率で呼び出されていたと思う。

救急車のサイレンが聞こえると、今は使われなくなってしまったポケットベルが、ズボンのポケットの中でピーピーと鳴くのである。

ポケットベルの「ファントムバイブレーション」にも日常的に悩まされていた。

病院で働く人の苦労に思いを馳せると共に、無駄に単純に歳を重ねた一人の四十男として、病院を訪れる人の苦しみにもまた近しさを感じはじめている。

Tさんの腰は、幸い骨には異常がなかった。私は神鍋高原の宿へ戻ったが、Tさんの二人のお友達が、さらに付き添ってくださった。

神鍋から滋賀まで帰るカサイさんが、病院から京都まで帰るTさんと、二人の付添の方を送ってくださった。

「通り道なんで」

いざというときに頼りになる江戸っ子である。

3月22日 平野啓一郎『空白を満たしなさい』を読む。

多田塾甲南合気会の春合宿に二日目から参加。

行きの電車で、『空白を満たしなさい』(平野啓一郎)を読む。

分人という概念•方便を採用することで、行きづらさが解消される人がいるのならば、それはそれで良いことなのだろう。

ただ、あらゆる「薬」には、使用することによる副作用(目的以外の効果)がある。

「お肉が食べたいときの私」と、「刺身が食べたいときの私」を別な人間として考えるということは、それほど難しくないことだ。

しかし、問題とは往々にして、「肉も魚も両方食べたい」というときに起こるものである。

こう言うときに、「とんかつ的な自分」と「何が何でも平目の刺身派の自分」に分割し、それを戦わせるというのはあまりにも寂しい。

無益な争いである。

というか、「戦い」とはこのような形で常に無益だ。

「とんかつも平目の刺身も両方食べたい私」を、「あら、こまったちゃんね」とやさしく包み込み、ときにはその希望を叶え、ときにははぐらかすテクニックこそが私には大切なように思われる。

べてるの家では、この「こまったちゃんとの対話」のことを「「幻聴」から「幻聴さんへ」」という一言で表現している。

分人と言う概念は、個人の中の様々な側面を空間的に配置、並列することに近い。おそらくそれだけではないのだが、そのような考えに結びつきやすくて、それがある種の「戦い」を引き起こしがちではないか。

個人のなかでの様々な側面というのは、すべてを空間的に分けることができない。それは、無いときはないし、出てくるときは出てくる。幻聴と一緒である。

「分人」的な考え方は、物事を整理して考える上で非常に有用だ。しかし、いらない争いを起こしがちでもある。

そのことを20年も前に安達祐実は「分人するなら金をくれ」という捨て台詞で表現した。(嘘)

「分人」から「分人さんへ」

という発想を、ぜひ分人派の方々には、頭の片隅においていただきたいものである。

あなたと私の「困ったちゃんとの対話」が、今日も健やかであることを祈っています。

 

 

3月20日

雨である。

ニレを幼稚園に送る。今日が修了式で、年中組最後の日となった。担任のいのうえ先生が退職されるので、今日でお別れである。昨年の4月から1年間、本当にお世話になった。さらなるご活躍を祈念いたします。

3月いっぱいで幼稚園が変わることになったHちゃんとも今日でお別れ。「卒園」に際して、白いブラウスと紺色のジャンパースカートというきちんとした格好で来ていた。普段着の子供達に囲まれてイノセントに遊んでいるHちゃんの姿をみて、涙が出そうになる。

山上の大学へ行き、こちらは卒業式。
事務仕事に追われてしまい、開式間際に慌てて着替えていると、担任している卒業生達が記念撮影のために研究室に来てくれた。

皆さん、ご卒業おめでとうございます。元気に頑張ってください。いつでも遊びに来てね。

終了後は、専攻の会議と新年度の打ち合わせ。

ニレを迎えに行ってから、砂田くんのお家へ行き、さきちゃんとあーちゃんに、パソコンをお渡しする。

一日中動き回っていて、今日も昼ご飯が食べられなかった。

帰宅すると、謝恩会が終わったイーダがすでに朝日ヶ丘ホテルに戻っていた。
3人で夕食。ソーセージ、ニシンのスモーク(イワモト君がくださった)、アスパラガス(好きなのだが、高いので普段はあまり買わない)、ブロッコリー、ごはん、焼き海苔など。

 

 

 

 

3月19日

ニレを幼稚園へ送りに行く。本日は卒園式。

神戸から大阪へ移動して産業医。

面談をいくつか行った。あとは、来週の新入社員への健康についての講話の準備など。

終了後は日本橋の国立文楽劇場へ行き、予約していた文楽のチケットを購入。文楽をみるのは初めてである。一人で行くことにした。

帰宅して、松美屋さんに誂えをお願いしていた着物を受け取る。その後、夕方5時近くなってようやく昼食(カレーライス)。

外付けHDDのフォーマットをしている途中で、どういうわけかMacに入っているiTunesのデータ(ムービー含めて100G以上あった)を消去してしまった。

泣きそうになりながら、砂田君にメールをさせていただく。

夜は、凱風館で合気道の稽古。

 

 

「M君へ語る私的身体論」⑧ あの時、ごく短い時間で考えたこと(フロー体験1)

相愛大学の授業は「身体をうまく使えている状態」について考えることから始めました。それが学生諸君の希望だったので、内容的にも期待に沿うもの、初回から興味を持ちやすいものにしようと思い、「フロー体験」を取り上げることにしました。

フロー体験とは、日本語で最適経験と呼ばれたりもしています。「一つの活動に深く没入しているので、他の何ものも問題とならなくなる状態」のことを指します。*1

私がフロー体験について考えるようになったのには一つのきっかけがありました。2012年の7月に神戸女学院大学で集中講義「対人コミュニケーション」の一部を担当することになり、私はそのお話をいただいた2011年の秋に少しずつ授業の準備をすることにしました。

実際の授業を行うまではまだ時間がありましたが、当時の本業の医学研究の方はいつ何時忙しくなるのか予想がつきませんでしたので、神戸女学院での授業については、できるときにできるだけの準備を進めておく必要がありました。

その授業は、「キャリアデザインプログラム」という副専攻の枠に入っていて、将来ホテルや、エアライン、銀行などで働くことを目指している学生が、仕事で必要になるコミュニケーションについて考えることを目的としたものです。

ホテル業界の方、インターナショナルスクールの元校長先生などが授業を担当されていて、その中で私は、「医療上のコミュニケーション」についての講義を行うことになりました。

病院におけるコミュニケーションの特徴や、起こりやすい問題、エピソードなどはいくらでも話すことはできますが、ある程度学術的な裏付けの基に授業を進めたいという気持ちがありました。

医療コミュニケーションについて土曜日一日で90分×4コマの授業をするので、多面的な切り口(はっきり言うと、学生のみなさんが飽きない工夫)を考える必要がありました。

いくつか「コミュニケーション学」についての本を読んだのですが、残念ながら私が持っている医師としての経験とうまく融合させられそうな学問体系に出会うことはできませんでした。

そこで、当時私はまだ阪大にいたので、キャンパス内で、コミュニケーション学の専門家を探すことにしました。

コミュニケーション研究は、心理学の領域で主に行われているようでした。

阪大で心理学者が多く在籍しているのは人間科学部です。阪大吹田キャンパスにある人間科学部の研究棟は医学部の隣なので、非常に好都合でした。調べてみると、阪大には、コミュニケーション学について研究されている社会心理学研究室のD教授がおられました。D先生は、「対人コミュニケーションのプロセス解析」や「顔コミュニケーション」を専門にされている心理学者でした。

今思うと大変不躾なことでしたが、私は、「医療におけるコミュニケーションの授業を行うことになったので、コミュニケーション学についての基本的なことを教えてください」というメールをD先生に送りました。

数日後、D先生は丁寧なご返事をくださり、お会いいただけることになりました。

メールの記録を調べてみると、私は2011年の11月28日に研究室に伺っています。一つだけ計算違いだったのは、当時の人間科学部は改装工事中で、D先生の研究室は、一時的に阪大箕面キャンパス(旧大阪外語大)に移っていたことでした。

11月の箕面キャンパスはどういうわけか分かりませんが、ほとんど人がいなくて、とても静かでした。守衛さんに会った後はキャンパス内で誰にも合わなかったので、「本当にこの場所にD先生の研究室があるのか?」と不安になりましたが、守衛さんに教えてもらった通りの道を、菓子折りの袋を下げながら歩いて行きました。

箕面キャンパスは道路が広く、大きなグランドとテニスコートがありました。結局、守衛さんに会った後、D先生にお会いするまでは誰とも会いませんでした。医局や大学病院では、いつも人に囲まれて仕事をしていたので、このような静かなところで働ける大学教員という職種を、少し羨ましく思いました。

D先生の研究室は、建物の2階にありました。ノックしてドアを開けると、そこは驚くほど広い部屋でした。20人位だったら十分に授業ができそうな広さでした。赤茶色のリノリウムの床で、部屋の中央に一段段差があったので、そこは本当に教室だったのかもしれません。

D先生はその部屋の窓際にご自分の仕事机を置き、部屋の真ん中にミーティング用のテーブルを置いていました。

予想外の部屋の大きさに戸惑っている私を見てD先生は、

「間借り中で、こんなところに居るんです」

とおっしゃり、私を室内へ招き入れてくださいました。

D先生は、優しく丁寧な口調でお話をされる、大変紳士的な方でした。髪が黒々とされていて、エネルギッシュな印象を受けました。

早速本題に入りました。

 

・「コミュニケーション学」の学問体系というものが、どのように構築されているのかよく分からない。

・正直なところ、私には「コミュニケーション」というものを学問あるいは科学として考えるというのはどういうことなのか、分からない。

 

ということを率直に伝えました。

簡単に言うと、特定の学術領域としての主立った「知見」とか「軸」というものが私はコミュニケーション学の中に見いだすことができませんでしたし、「コミュニケーションを科学する」ということの方法(分析法、検証法)の精度をどのように担保するのかが分かりませんでした。

すると、D先生は、私の話が終わるか終わらないかというタイミングで、「コミュニケーションというのは空気みたいなものですので、それを考えるアプローチは無数にあるんです」

とおっしゃいました。

失礼な言い方になってしまいますが、私はそのD先生の反応スピードから、この先生のことが理屈を超えて好きになってしまいました。しかし、それと同時に大きな溝をはっきりと感じました。

コミュニケーション学については学会も存在しますが、そこはコミュニケーションを専門的に研究している研究者の「主戦場」というよりも、多様な専門分野を持っている研究者が、「コミュニケーション」という切り口の上で寄り集まってくる、学際的な場所の様でした。

私が神戸女学院大学に求められているのは、将来の仕事に活かすことのできるコミュニケーション関連の話であり、「コミュニケーション学」に何らかの学術的な背景を求めて余計な話をするよりも、現場の話に特化して、学生の役に立つ話を進めるべきだということが、その瞬間にわかりました。

それまでにコミュニケーション学に関するいくつかの本を読んでいたという前提があってのことなのですけれど、D先生とお話することで、「心理学的アプローチ」というものは医学・バイオ研究を含めた自然科学研究とも、人文科学とも異なっていて、どうも私にはなじめそうもない(=主戦場とすることはできない)ということがはっきりしました。

「神戸女学院の授業では、心理学とは別のアプローチを取り入れなくてはならない」ということが分かりましたので、D先生にお会いした私の目的は、面会後1分で果たされてしまいました(それはとても貴重な1分だったのですが)。

しかし、面会後1分で帰る訳にもいかず、私は困惑してしまいました。

非常に短い時間に、もやもやと多くのことを考えました。

 

私は、心理学における研究では、研究の出発点(あるいは動機づけ)と、到達点の設定の仕方が自分が考えている「科学研究」とは完全に異なっているので、その違いを前提として謙虚に教えを請わなければならないと思いました。

自分が非常に幸運な出会いの只中にあり、この貴重な機会を生かさなければならないという気持ちはありましたが、どのように言葉をつなげれば良いか分かりませんでした。そこで、苦し紛れではありましたが、

「私は、医学研究者としてバイオ研究を行っているのですけれど、同時に合気道の稽古をしています。合気道は「現代に生きる武道」と言われており、将来、医学と武道を横断的に結ぶ研究をしてみたいと思っているんです」

と言いました。

D先生にはこのようにお話しましたが、私にとっては、この「横断的研究」のアプローチ、あるいは方法自体が大問題でした。このような研究を行いたいという気持ちはありましたが、実際にはどのように進めたらよいのか分からなかったのです。

そしてこの日私は、D先生とお会いすることで、「心理学的アプローチ」が自分には馴染まないということだけがわかりました。

それまでの私は、心理学という未知の分野にある種の希望を抱いており、その学問的体系が、自分が行いたいと思っている研究を助けてくれるのではないかという浅はかな気持ちを持っていました。

それは先ほど述べた「横断的研究」のことに限らず、神戸女学院でのコミュニケーションの授業においても同じことでした。しかし、そのような私の考えは「甘え」であるということが、D先生とお話して分かったわけです。

 

社会心理学というのは、社会における人間の行動(たとえば「意思疎通」とか、拒絶を含めた「自己表現」など)を心理学的に分析し、説明する学問のようでした。正直言って、わたしにはそのやり方が、「形の無いものに対して、既存の枠組みを当てはめていく振る舞い」に思えてしまいました。失礼を顧みずにわかりやすい例えを用いるなら、それは「過剰な単純化」であると感じたわけです。

そして、その「単純化」「枠組みの当てはめ」を繰り返しているうちに、複数の枠組みに収まらない暗闇の数が、どんどん増えているような気がしました。

 

「研究を進めていくうちに新しい疑問が生まれる」というのは様々な研究において認められる、ごく普通のことです。ある意味これは、研究が着実に進んでいる証ということができるかもしれません。しかし、私にとってこのタイプの疑問(暗闇)は、「生まれるもの」というよりも、説明や解釈の脇から「こぼれ落ちていくもの」のように思えました。

私は、医療コミュニケーションの特徴や難しさを神戸女学院大学の学生に対して語りたいと思っていましたし、「医学と武道を結ぶものが何か」という研究をしたいと思っていました。しかしそれは、ある種の枠組みにそれを落とし込みたいということではなくて、もっと、生成的な言葉、あるいは、語られることでメッセージがさらに進化していくようなものを作っていきたいと思っていました。

私はそのような「無理難題」の答えを、私がまだ知らない心理学というものに、勝手に求めてしまっていました。

 

非常に短い時間でしたが、私はそのような自分の甘えた気持ちに対して強い自責の念を持ちました(少ない言葉を交わしただけで、私が「いやー、そうですか。うーん」などと言いながら、天井を見つめたり、急に床をじっと見たりしていたので、D先生は、私のことを変な男だと思われたと思います)。

私が心理学との間に感じてしまった「溝」は、私自身の思考のゆがみと勉強不足に一部由来するものであるということもまた分かっていました。

ですので、あらためてまっさらな、開き直るような気持ちで、「別世界」の研究の大家であるD先生から、吸収させてもらえるものは何でも吸収させてもらおう、と思いました。

わたしは、そのような気持ちで、D先生に

「将来、医学と武道を横断的に結ぶ研究をしてみたいと思っているんです」

と言いました。

私が話すとD先生は、「私の現在の研究のメインテーマは”Well-being”(心身ともに健康であること)の分析なんです」

というお話をされました。
D先生は多彩なテーマで社会心理学の研究を進めてこられたので、それを社会に役立つ形にまとめたいというお気持ちを持たれているようでした。遠い射程を持って長年研究を続けてこられたのだということが、分かったような気がしました。

「歳を取ってくると、自分がこれまでしてきたことを肯定的な方向にまとめていきたいと思うものなのでしょうかね」

とおっしゃっていました。

その後、いくつかの話をお聞きするなかで、D先生は「ポジティブ心理学」(ナカニシヤ出版)という本をくださいました。

私は後に、この本の第4章「フロー経験の諸側面」を読むことで、「フロー体験」について考えるきっかけを与えられました。
(続く)

 

*1「フロー体験 喜びの現象学」(世界思想社)M.チクセントミハイ p5

 

 

 

 

 

 

3月18日 あんゆりすお店 繁盛記(夜明け前)

幼稚園にニレを送ってから大学へ。

春休みなのだが、珍しく予定がない日だった。管理栄養士国家試験を直前に控えた4年生のために、午前中は質問受付の時間にする。

大学の研究室で待っていたが、訪ねてきたのは別件の相談できた専攻長のM先生だけだった。

ちょっと心配になるが、ここまで来たら、体調管理に気をつけて普段通りの力を発揮してもらいたい。今年の4年生は、全体としてかなりよい仕上がりを見せているので、期待している。

 

普段は幼稚園で延長保育を頼んでいるのだが、本日はあるプロジェクトの準備をするため、正午に幼稚園へニレを迎えにいく。

今年の夏、朝日ヶ丘ホテルでは期間限定のアイスクリーム屋を開くことになっている。昨年末の時点で店名もすでに決まっている。「あんゆりすおみせ」である。

「あんゆりす」とは青い羽根の鳥で、インカ帝国の王子の紋章である(嘘)。

正月に、イーダと私が、それぞれ30品目ずつのメニュー案を提示し、最終的にスタート時のアイスは「バニラ」「チョコ」「ストロベリー」の3点になった(30品目も考える必要があったのか?という質問に対しては、「あった」としか答えようがない)。

屋台形式の店を考えており、出店場所としては、芦屋いかりスーパーの隣でゲリラ的に店を開くとか、近所の小児科の前で泣きながら出てくる子供を狙い撃ちするなどのプランがあったが、最終的には自宅前で行うことにした。

この場所は、朝日ヶ丘プールから家に帰る子供たちが通る道になっており、マンションに居住する小学生たちを一網打尽にできる可能性がある。

「イチオシメニューは何にするのか?」

という私に対して店長(娘)は、

「トッピングアイス」

という意味不明の返答を繰り返している。

このままではラチがあかないので、3月18日に、第一回のアイス試作を行うことにした。

牛乳、生クリーム、卵黄、グラニュー糖、バニラビーンズをそろえ、300mlというミニスケールで試食品を作成。

ホイップが足りず、舌触りが今ひとつだったが(シャリシャリ感が残った)、味自体はまずまずだった。

プール帰りの子供たちが「うっとり」できるようなアイスをつくるため、さらに改良を進めなければならない。

絶品アイス作成のため、よろしければお知恵をお貸しください。トッピングのアイディアも嬉しいです。
採用させていただいた方には、「あんゆりすおみせ」のギフト券を進呈いたします。

st[atmark]hotel-asahigaoka.com

atmarkは@です。