電車でニレを幼稚園へ送ってから、乗り合いタクシーで大学へ。
山の上にある神戸松蔭では、学生教職員の間で「乗り合いタクシー」文化が根付いている。
本日のタクシーのお相手は、教養系の授業の手伝いに来てくださっている松蔭OG(もちろん私とは初対面)。
卒業後の今も、学生時代の恩師と交流が続いているというお話を伺う。
その後、幼稚園についての意見交換などしているうちに大学へ到着。
本日は授業を3コマ。
その後、大阪日本橋まで出て、文楽『菅原伝授手習鑑』を観る。
文楽は初体験だった。
お尻が痛い。
四段のはじめで太夫が言葉に詰まり、小声で「すみません」と言っていた。
「孝行」と「忠義」の間で引き裂かれたときに、分裂しまくる人間をみて、最終的にとった行動がリアリティから遠い位置にあればあるほど、こちらの気持ちが揺さぶられるというのはどういうことなのだろうか。
親としての入学式をとるか、教師としての入学式をとるかというような話も、「教師としての入学式を取ったにもかかわらず、そこでキレまくる、校長をぶん殴る」みたいな展開だったら、こちらとしても揺さぶられがいがあるというものである。
忠義をとった上でそのけじめに殉じるのが江戸的な美学とするならば、忠義をとったうえで、その決断の前提さえ覆してしまいがちなのが、現代的な医学のような気もする。
できるだけ、決断を迫られないように生きて行きたいものである。合掌。