「M君へ語る私的身体論」⑩ 『自殺に関する対談/大学生と授業/フロー体験と依存症をつなぐもの(フロー体験3)』

先日、末井昭さんと岡檀さんの対談を聴きに行ってきました。

お二人は、2013年に自殺をテーマにした本をそれぞれに出版していて、今回の対談は末井昭さんの本の出版記念イベントとして企画されたものでした。

岡さんの『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』という本は、「自殺予防因子」についてのフィールドワークの成果を紹介したものです。日本でもっとも自殺率の低い徳島県旧海部町のことが紹介されています。

一方、名物編集者の末井さんは、ご母堂がダイナマイト心中をしたというすごいエピソードを中心として、自殺の周辺にまつわるあれこれを、体験を中心に書いておられます(体験といっても、自殺未遂ではないのですが)。

対談には、進行役として小堀純さんが同席していました。小堀さんは、中島らもの本などを出版している編集者で、現在は大学で教育活動も行っているそうです。対談の途中でその小堀さんが、気になることを言っていました、

「学生に自殺のことについて考えてもらいたいと思い、末井さんの本を紹介したり、自殺についてどのようなことを考えるか学生に聞いてみたりするのだけれど、とても反応が薄い」

ということでした。

私は岡さんと末井さんの本を非常に興味深く読んだので、実はこのイベントもかなりの盛況なのではないかと覚悟していったのですけれど、聴衆は30人弱くらいでした。正直なところ拍子抜けだったというか、お二人の本の面白さと、自殺について違うアプローチをした二人が対談するという意義を考えると、もっと多くの人が集まってもよいのではないかと感じました。私もまた、「社会の人たちの、自殺に対する反応が薄いな」と思ったわけです。

そして、少し考えてみると、私も小堀さんの発言と同じような経験をしていることに気がつきました。

以前にも書きましたが、私は相愛大学の学生諸君に

「これから一緒に「現代社会における身体の使い方」について考えて行きます。「身体をうまく使えている状態」と、「身体をうまく使えない状態」のどちらから考えて行きましょうか?」

と尋ねました。

すると、「身体をうまく使えている状態」について考えたいと答えた人が圧倒的に多く、「身体をうまく使えない状態」について考えたいと言う人はほとんどいなかったのです。

 

かつての私だったら、このようなときに「今時の大学生は仕方が無いなあ」と不満の一つもいって終わらせていたのかもしれません。しかし、今の私は大学教員が主な仕事の一つなので、そんなことを言っていられなくなってしまいました。

このような状況について、小堀さんや私は、どう考えたらよいのでしょうか。

 

大学という場所に限って言うと、授業において大学生にやる気を起こさせるには、いくつかのコツがあります(いつか役に立つかもしれませんので、M君も頭の片隅にメモしておいてくださいね)。

男子大学生に対しては、明るい希望を抱かせることが重要です。それぞれの才能を認め、「授業に参加することで、君の潜在能力が開花する可能性がある」ということを示すと、男子学生はやる気を見せます。

一方女子学生はよりリアルな世界を生きていますので、彼女達には実利面でのメリットを強調する必要があります。

「この授業を通して○○を行うことで、あなたはこのような実利益を得られる」ということを明確に伝えると、女子学生はやる気を見せます。

最近は、「男子大学生の女子学生化」が進んでいて、男子大学生もまた実利重視傾向を示すようになっています。

こういうことを言うと、「大学の授業とはそんなものじゃない」とか、「何をそんなせせこましいことを言っているんだ」とか、「学生に対しておもねりすぎだ」とか言う声が聞こえてきそうなんですけれど、そういうことでは無いんです。

私が言っているのは一種の装置であって、極端な話、ウソでもいいわけです(私はウソは言いませんが)。授業における、教員と学生の間の回路をきちんと作るための工夫と思ってもらったらいいでしょうか。

 

授業というのは、ときには学生にとってあまり面白くないトピックを扱わざるを得ないということがあります。

そして、そういうときほど、そのトピックを学ぶ理由を示す必要が出てきます。

たとえば、「自殺について考える」という場合でも、学生があまり気が進まないようであれば、そのことについて授業で考える理由を説明するということです。

しかし、自殺の場合は、問題が問題ですから、このトピックを授業で扱う理由を一方的に突きつけて強引に話を進めるというのではなく、できれば学生の方から、わずかでもいいからこの問題へ耳を開いていく方向性みたいなものを持ってもらいたい。

 

しかし、大学生の立場になって考えてみると、それも中々難しいことでもあります。

大学で授業を受けている大学生というのは基本的に、「いかにしてうまく社会の波にのって、スムーズに生きて行くか」ということを最大の関心事としている人たちです。

ただ、社会の波にうまく乗ってスムーズに生きて行くためには、「あんまり良くない状態」のことも知っておいた方がよいので、小堀さんや私は、自殺のことや心身の状態が良好とは言えない状態のことについて話そうとしたわけです。

けれど、大学生のみなさんは、社会人としての生活が始まる前から「良くない状態」のことを考えるのは、「つまらない」、「そんな暇は無い」、「考えたくない」、「今からそんなことを考えるのは縁起が悪い」と思うのかもしれません。

 

しかし、何とかもう少し自分の守備範囲(ものを考える領域)を増やすことはできないかとも思うのです。実は大学生として学ぶべきもっとも大切なことは、物事についての個々の知識を増やすことではなくて、この「考えることの守備範囲を広げていく方法」ではないでしょうか。

たとえば、「自殺について考える」ということは、それを必要としている状況では非常に大切なことです。年齢と関係なく、自分自身の自殺について考える時や、近しい人の自殺に接した時が一番わかりやすい「その時」でしょう。

しかし、もし自分自身の個人的な体験として、自殺について考える理由がみつからなかったとしても、やはり自殺の問題をできるだけの想像力を働かせて考えてみてもらいたいと思うのです。

 

では、どうすれば、あまり気が進まないテーマについて、興味を抱いて考えることができるのでしょうか。

テーマに対して最初からネガティブな印象を持ち、ネガティブな雰囲気に包まれてものを考えても、あまりいいアイディアが浮かんでくることはなさそうです。テーマに対する自分の心象はちょっとだけ脇に置いておいて、対象について、「できるだけ分析的に考える」という態度がポイントだとのように思います。

あるいは、「わからなさ」とか「つまらなさ」とか「興味を持てない理由」というものをかみ砕いて、その「要素」を言葉にしていくことが大切ではないでしょうか。

何らかの社会問題について考えるとします。できるだけ、これまであまり興味がなかった事の方がいいでしょう(「ジェンダー」でも、「民主主義」でも、「少子化」でも、「ももいろクローバーZ」でもなんでもかまいません)。そして、そのテーマが有している特徴や問題の要素を、自分なりに分析的に考えてみてください。そうすると、今までではしたことが無かったような自らの知性の駆動が感じられます。

 

自分が元々興味を持っていたり、好きなことを考える時に脳が活性化するのはある意味当たり前のことですよね。しかし、元々はあまり興味が無くても、それに対するアプローチを工夫することで、自分の脳を活性化し、知性を存分に発揮できるようになれば、生きる上で充実した時間が増えていくことになります。

ポイントは、「なぜつまらないと感じるのか?」を考えることです。

面白い人や面白いものについて、「どうしてそれが面白いのか?」を考えると、それについての面白さはちょっと目減りしてしまいます。

同じように、つまらないものや、悲しいことに接した時に、「どうしてこれはつまらないのか?」「どうしてこんなに悲しいのか?」と考えると、人間のつまらなさや悲しさって減るんですよね。

カウンセリングを含めた心理療法では、人間のこのような意識の働きをうまく利用しています。

 

説教くさい話になって嫌なのですけれど、実はこれも本題につながる話なので、ちょっとだけおつきあいください。

 

突然ですけれど、「いつも楽しそうにしている人」っていますよね。

でもそれは、自分で楽しいと思うことばかりを選んで行っているわけではなくて(そのような幸せな人ももちろんいるわけですが)、何をやるときでも楽しめる人が楽しく生きている人ということが言えそうです。

自殺の問題を考えることは大変なことですが、その問題ときちんと向き合うことで、その時間を充実させることができます。そして、そのような形で自殺について考えることは、充実した時間を過ごすと言うこと以上の報酬(自殺予防上の意義)をもたらすかもしれません。

実は、このような考え方は、これから取り扱う「フロー理論」と関連が深いものなんです。

 

「フロー体験」とは、我を忘れるほど、行動に没入した状態のことを言います。また、最初は何か別の目的の為に行っていた行動が、(あまりにも充実していて)その行動を行うこと自体が目的化した状態のことを指します。

 

たとえば大学生が、授業の課題として自殺に関するレポートを書かなければならないとします。

その大学生が調べ物をしていて、岡檀さんの「日本の自殺希少地域における自殺予防因子の研究」に巡り会い、「自殺率と、国土の地理的特徴の関係」に興味をもって、論文を読むことに深くのめり込んだような状態のようなことを言うわけです。

フロー体験はこのように、「手段の目的化」と言い換えることができます。そして実はこの「手段の目的化」というのは、依存症の成り立ちを説明する上でも重要な考え方なんです

 

たとえば、「仕事で早起きしなければならないため寝酒を飲むようになったのだが、飲酒が高じてアルコール依存症になってしまった」という人がいるとします。

この場合、飲酒の最初の目的は「アルコールを摂取することによって寝付きを良くすること」でした。それが、アルコールの摂取を続けているうちに、飲酒自体が目的に変わってしまうわけです。

このようなケースを「手段の目的化」と言うわけです。

 

そして、フロー体験もまた同じ枠組みを持っているということは、さきほどの大学生のレポートの例で分かっていただけると思います。人間の「良い状態」と、「問題を抱えた状態」というのは、本当に紙一重なんですよね。

では、依存症とフロー体験で見られる「手段の目的化」は、どのような点で違いがあるのでしょうか。これは、後ほどお話させてもらいます。

 

フロー理論では、このように手段を目的化させて充実した体験を行っている人のことを「自己目的的人間」(オートテリックパーソナリティ Autotelic Personality)と言います。

対外的、社会的な利益や責任を果たすことを目的とした人ではなくて、自分の中で感じる喜びを目的として生きている人というような意味です。

フロー理論の研究者は、この内発的な報酬(自分の中から出てくる喜び)がどのようにして生まれて、どのようなものとしてその個人に影響を与えるのかということを研究しているわけです。

フロー体験というのは、ある特定の状況において人間が感じる認識のことです。古くから人間が持っていた感覚であり、フロー体験、フロー理論の提唱者であるM.チクセントミハイは、もともとあったこの感覚に、名前をつけた人だということになります。

では、チクセントミハイはどうしてこのようなことを行ったのでしょうか。次回はここから始めたいと思います。答えは前回示したTEDトークに入っていますので、興味があればご覧になってください。

本当は今回、ここから始めたかったのですけれど、M君とお話しするのは楽しいので、つい前振りが長くなってしまいました。ごめんなさい。

 

私は、チクセントミハイが提唱するフロー体験を「身体をうまく使えている状態」の一つの例として使用しています。

フロー体験・フロー理論についてはいくつかの疑問点があることはあるのですけれど、チクセントミハイの主著*1については「人間の認識について考える研究領域である」という前提を大切にしているという点で、一読に値するものだと思っています。

次回以降は、このチクセントミハイの本にそって話を進めます。

何度も引用していますが、良くできた本です。この本がアメリカで出版されたのは1990年で、今から実に24年前です。その後のフロー研究の動向を調べましたが、この分野でもっとも重要なことはすでにこの本の中で示されています。

逆に言うと、「ポスト・チクセントミハイ」の発展が難しそうな研究分野ということが言えそうです。

 

 

*1「フロー体験 喜びの現象学」(世界思想社)M.チクセントミハイ