3月13日 四十男の負け戦について

幼稚園にニレを送ってから大学。

新年度に向けて、学生面談を数名。

その後、人間科学部の若手懇談会に出席する。人間学部長の呼びかけにより、着任して数年の教員が月に一度程度集まって、学科横断的な活動の推進を模索している。

大学の規模は随分ことなるが、同じ聖公会の大学である立教大学は、かなり充実した教育プログラムを実践しているらしい。

他学に学びつつも、神戸松蔭固有の教育を行っていきたいものである。

午後からは、大学のアクションプランに出席。少子化傾向が進む中、女子大が置かれている状況の厳しさをあらためて感じる。

イイダに大学まで迎えに来てもらい、ニレをピックアップしてから帰宅した。

夕食は鍋にした。

言いたいことを控えたり、発言に「とろみ」をつけたりすることばかりをしていた一日だったので、ストレスがたまっていたらしい。ビールと、日本酒と、ワインまで飲んでしまった。反省である。

最近は、飲酒について意識的に反省するようにしている。その一環として、飲酒関連の言及も日記に記載するようにしている。

昨晩は、ストレスがたまっていたためか(しつこい)、ワインをのみつつ、ひなあられの残りもぼりぼりと沢山かじってしまった。反省である。

 

鍋をつつきながら、イイダに「能の稽古をはじめて良かったと思う」という話をする。

仕舞や謡には、どう頑張っても年月を経ないと出てこない味がある。背伸びしてもどうすることもできない。

若い者は、自分に与えられた課題を坦々と丁寧に行うだけである。

年月を経ていくと、それに応じて重い曲を与えられるようになる。そして、そのときには、それが自分の役割と感じ、それを精一杯演じる。

いつだってふんぞり返ってはいられない。重い曲の恥ずかしい出来映えを、人のせいにすることはできない。自分に与えられた使命を意気に感じて、愉快に謙虚に、挑戦していかなければならない。

「40代の素人男の舞」などというものは、格好がつくはずがない。最初から負け戦である。しかし、どこか一点、結晶化した「何か」を表現するために、私は舞を続けるのである。