3月8日 「和合亮一さんと再会する」

凱風館で、合気道の稽古。

その後、来年度の授業(全学共通科目の合気道)に生かすための柔軟運動講座を受講する。

授業を安全に実施するために、柔軟運動を十分に取り入れたいと考えている。

阪大を離れて以来、久しぶりにJR茨木駅に降りた。

終了後、十分な手応えを感じつつ、帰りの電車に乗る。

そのまま元町まで行き、和合亮一さんが出演される復興支援コンサートを観に行った。

会場には、イーダとニレも先に到着しており、ともに和合さんの朗読や、合唱を聴く。

和合さんの朗読を聴いて、二年前の神戸女学院大での講演会を思い出した。

東日本大震災の語り部的活動を続けて来られた和合さんの朗読には、熱意とともに、やはり洗練としか表現できないような芸術性があると感じた。

しかし、この「洗練」は非常にユニークなものである。

和合さんの活動の芸術的側面を軽視する批判は震災後継続してあるが、私は和合さんの表現には、(震災ということを超えて)時代に要請された大きな意義があると思っている。

それは、ドキュメンタリー性と芸術の融合だったり、効率や合理性が、他を説得するものとして最優先される現代社会において忘れられがちな、「率直さ」、「自然さ」、「拙さ」ということである。

和合さんの表現の洗練には、一見その言葉とは相容れないような「自然であること」、「拙いこと」があふれているのである。

拙さを洗練させていくということは、拙さが無くなるということとは違うのである。

そのようなことを、3月1日に発売された「東日本大震災と私たち」という和合さんとの共著に書きました。

読んでいただけたら幸いです。

http://www.amazon.co.jp/東日本大震災と私たち―和合亮一講演会「わたしを生きる、あなたを生きる。」-和合-亮一/dp/4925220349/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394328646&sr=1-1

コンサート終了後、短時間だったが、和合さんと色々な話をすることができた。

いつか再び神戸にお招きして、詩のワークショップができたらと思っています。